最近、語学学校で読んだ記事がとっても素敵だったのでシェアしてみます。テーマは仕事の選び方、そして向き合い方。
全体をまとめるとこんな感じ。
情熱を持てる仕事をしなさい、っていう言葉。よく言われるけど、本当にそれって正しいの?自分が本当に情熱が持てる仕事、それでいて心の底から楽しい、つまり「夢の仕事」を見つけることが正義、ほんとうに?
実は、約半数の若者は自分のしたい仕事が全くわからない。思春期あたりから親に「そろそろ将来について真剣に考えなさい」と言われたり、でもそんなこと言われたって、雲の上の城を建設するみたいに、曖昧な仕事像しか描けない。(その位の年頃で知っている仕事の種類なんてたかが知れている)
自分に合った仕事というのは、自分の庭を育てるように、段階的にゆっくりと様々な経験を重ねながら見つけていくものだ。自分でも予想しなかった仕事で成功したり、全く新しい自分を発見する可能性だってある。
自分の「夢の仕事」を見つけるため、1年間に30回のインターンシップに参加したある女性は、「夢の仕事」なんて存在しないことがわかった、と語る。彼女が学んだことは、ひとは様々な仕事を選択する可能性があるということ、そしてどの仕事が自分を満たすかは時間の経過によって変わりうるということ。
人は自分の人生を一貫したストーリーに仕立て上げたいという願望を持っている、とある研究者は解説する。すべての出来事は繋がる、繋げたい、繋がっているはずだと信じたがる。でも実際には現在自分のしている仕事は3年前と全く違っていたり、もしかしたら過去の経験や知識も全く役に立っていないかもしれない。でも、それでいいんだ。人生を綺麗なストーリーに仕上げる必要はない。一貫性はないかもしれないが、面白い、より良い人生を目指す方がよっぽどいい。
だから、人生は短編小説のコレクションなんだ。明日の自分は、もしかしたら今日の自分とは違うかもしれない。考え方だって変わるかもしれない。したいことだって、変わるかもしれない。でも、大丈夫。人生は長く厳しいロングストーリーではなくて、短編小説のコレクションなんだから、全体で一つのハーモニーを奏でる必要さえないんだから。
わたしも確かに自分のこれまでの人生を長編小説に仕上げようとしてきた節がある。全部の点と点を繋げたいし、今していること、過去にしたこと、辛かったことも含めてなにか将来の糧になるか、繋がってるかしてないと、やっぱり自分を納得させられない。
でも、綺麗なストーリーラインを描いてみても、なかなかうまく行かないものかもしれず。むしろ、今の私は「何でもできる私/何でも選択できる私/何でも捨てて良い私」であるはずなのに、無理に過去の点とつながる点を探したりしてるのかもしれない。自分の選択の自由を狭めているのは、自分自身なのかもしれない。
とか言ってる私自身がこの考え方をちゃんと体現出来ているのかといえば、全くそうじゃない。
現状真っ白なら真っ白なりに、私の庭にはたくさんスペースがあるということで、植えたい植物もたくさんあるし、いろんな育て方試してみたいし。まずはちょっと耕すだけでもいいんだから。そう考えてみると、ちょっと楽になったり。