Berlinからの報告

キリストが生まれて既に2000年以上が経ったのに私達はまだ小さなことで悩んだり人と比べて落ち込んだり羨んだりしている。私達は歴史の中の小さな点に過ぎないけども、でも確かに存在する。自分を誇れる有意義な点でいたい。

今日の難民カフェ

自分のための覚書として、毎週木曜日のSprachcaféこと難民カフェで話されたことをメモしておく。

 

今回の参加者

・Oさん ドイツ人男性で主催者。とあるディズニーキャラクター雪だるまと名前が一致。ピアスにスキンヘッド。優しい。でも話すの早い。ベルリンがちょっも嫌い。

・犬好きさん ドイツ人男性。冷静クールでも犬が大好き。犬といつも一緒。その犬がめちゃくちゃかわいい。名前を忘れてしまった。

・Dさん 日本で大学院に通っていたこともある女性。主催者のひとり。中東出身で何度か住処を変えたので特定の国の出身とは言えないらしい。ご両親?がシリア出身。アラビア語とすこし日本語も話せる。イスラム教徒。

・Uさん アフガニスタン出身の難民。ドイツに来て4年目。趣味はお隣さんの庭の花の写真を取ること。自分の自転車を車と呼んでいる。基本チャーミング。主催者ではないけどレギュラーメンバー。ドイツ語上手い。

・Nさん シリアのアレッポ出身の難民。ドイツに来て4年半。ドイツ語中級くらい。あまり話せなかった。

 

今回の話題

 

・ドイツでビオ製品が流行ってるけど、アフガニスタンのスーパーの食品は全部ビオらしい(Uさん情報)なぜなら、アフガニスタンで今も行われてる伝統的な農法は基本ビオだから。ニワトリは買うときに殺すからフレッシュ。

 

・今はラマダンだけど、体力的にもうできない。お祈りの回数もドイツに来てから5回から3回に減らした。なかなか日常的にお祈りに集中できないから。(Dさん)

ラマダンだけど参加してない。普段からお肉含めてなんでも食べる派。お祈りは3回にしてる。ちなみに本格的なラマダンしてるひとは水飲まない。ラマダンは16歳からだけど、子供も大人を真似てしたがる。(Uさん)

 

・ドイツで犯罪を犯した難民については私は残念ながら許容できない。国に返さなくてはいけない。戦地から逃れてきた難民については漏れなくメンタルケアのサポートがあってしかるべき。(犬好きさん)

・犬好きさんに同感(Oさん)

↑犯罪を犯した難民は国に帰るべきという会話をリアルな難民の前で繰り広げた二人。二人とも主催者なので、基本ベースは難民擁護派ではある。ドイツ人は意見をよく主張するとはいうけど、なかなか驚きのシチュエーションだった。

 

・犬好きさん、みんなに様々なベリーのドイツ語名を教える。役に立つような、立たないような。犬好きさんは教えたがり屋さん。

 

ルバーブがドイツで人気だけど、アフガニスタンには白いルバーブがある。そっちのほうが美味しい。それでケーキとかつくる。(Uさん)

 

・ドイツで医者にかかるときは、予約を取るのが大変。でも大抵の軽い病気は薬局で相談して薬を買えば解決する。症状が長引いたらクリニックに行くこと。急性なら大病院に行くこと。(Oさん)

 

・ドイツ人はドイツに文句言い過ぎ。どれだけ恵まれてるか分かってない。一ヶ月でもいいから外国(中東?)に住んだらわかる。アフガニスタンタリバンは本当に厄介、彼らはイスラム教徒というか政治集団に過ぎない。市民生活の行き過ぎた束縛をしている。(Uさん)

 

アフガニスタン、いつも夏。暑いときは44度。バスの中に乗り切れなくてバスの上に乗ってる人が一番暑い。涼しくなる方法とか特にない。ドイツ人は冬が嫌いとかいうけど冬ほしい。(Uさん)←これ前回分だけど面白かったから載せる。

 

今日は天気が良かったのでみんなで外でおしゃべり。ドイツ人メンバーが太陽の位置が変わる度にベンチを陽のあたる場所に移動させてた。でも日差しが強すぎるとまた日陰に移動させた。どっち。ラマダン期間中だからかわからないけどすこし人数少なめだった。

 

 

 

中国人の友達が死刑擁護派だった

私は今日、昨日イベントで知り合った中国人の女の子とランチを食べた。私が大学時代にちょっと日中交流の事業に参加していたこともあって(中国語話せないけど)話は結構盛り上がった。彼女はとても明るくて、サバサバしていて、わたしのためにいちご1パックを買ってくれて、家にまで上げてくれた。

 

いちごを食べながら他愛もない話をしていたとき、彼女に「ちょっと聞いていい?」と言われた。何かな、歴史とか政治とか、そういうテーマかなと少し身構えつつ、「なんでももきいて。」という風に答えたら、「日本に死刑制度はあるよね?」と聞かれた。

 

死刑!

 

思いもしなかったテーマなのでビックリしたけど、聞き方的に「まだ日本には死刑があるの?(それって世界の潮流から遅れてるよね)」というような否定的な意見かと思った。

 

私は死刑制度に反対。どんな理由であっても、国や司法には市民の命を奪う権利なんてないし、冤罪の問題もある、非人道的な制度。だから、死刑の世界的な全面廃止を訴えているアムネスティの運動には賛成だし、まだ死刑を廃止しない日本は非常に遅れている、恥ずかしいことだと思う。これがわたしの考え。

 

 

だから、「残念ながら、日本にはまだ死刑制度があるよ。でも最近は廃止の動きが高まってる。」と答えたら、彼女の質問の意図が全く違うことに気づいた。

 

彼女は、最近中国で話題のニュースについて教えてくれた。詳細は理解できなかったけど、ある中国人が日本で殺人を侵したらしい。そして多くの中国人は(彼女によれば)彼に死刑を望んでいる。しかし、日本では死刑判決が下されるのが非常に稀であることが話題になっているらしい。検索してみたら、多分この事件じゃないかなというのが見つかった。 

 

毎日新聞より

https://mainichi.jp/articles/20190517/k00/00m/040/285000c

 

「なんで日本は死刑判決が少ないの?反対の意見が増えているなら、それは何故?」それが彼女の質問だった。

 

彼女は死刑制度に賛成だった。そして、反対する人の考え方がいまいち理解できないらしい。

 

わたしは恥ずかしながら、正面切って自分の意見を主張できなかった。死刑は絶対に間違っている。私達はドイツ語で話していたから、彼女はドイツ語で自分の意見をいろいろ教えてくれた。"Meine Meinung nach..."  "Ich finde ..."ドイツ語はなかなか主張する言語なので、個人的意見を主張する言い回しはたくさんある。彼女はいろいろな言い回しではっきり私に伝えてくれた。「犯罪を犯した人が罰せられるのは当然」「(近年日本が死刑執行する際に、EU議会から強く避難されることについて)他の国が他の国の政治に口を出すのは間違っている」

 

私は"Meine Meinung nach..." (私の意見はね)とは言えなかった。その代わりに近年の日本の死刑制度に関する国民感情について、できるだけフラットに説明した。

 

 

日本では、死刑反対派は増加傾向にある。欧米の先進国は死刑制度を絶対反対の立場で、日本もそれに習うべきという潮流がある。特に北欧諸国では死刑がないばかりか、犯罪者の生活環境はアジアと比較してもとても良くて、テレビを見たり散歩できたりもする。というのも、抑圧的な扱いを受けた犯罪者より、自由のある環境を与えられた犯罪者の方が再犯率が低いというデータがあるから。

 

というようなことを話したけど、あまり腑に落ちてはいないみたいだった。特に彼女はEUが日本の死刑執行を非難していることに怒っていた。

 

私は、西洋とアジアはベースのメンタリティーが違うからなかなかこういう点でわかりあえないかもしれないね、と言ってみた。悪いことをしたら、自分もその分罰を受けなくちゃいけない。仏教発祥である「因果応報」という言葉はもちろん中国にもあるみたいで、(この言葉のもともとの意味がそれなのか自信はない)、ヨーロッパには因果応報の考え方が無いんだよね、というところに私たちは落ち着いた。

 

なんで私ははっきり「私は、絶対死刑反対!死刑は重大な人権侵害!」って言えなかったんだろう。多分もう一度同じシーンが訪れても、私は言えないし、言わないだろうし、似たように賛成意見と反対意見と最近の傾向を並べると思う。

 

それは、きっと目の前にいる彼女を悪い気持ちにさせたくなかったから。そして、せっかく仲良くなれた関係を壊したくなかったから。それは、私にとって自分の意見を主張するより大事なのかもしれない。死刑反対の私と死刑賛成の彼女は、普通にしてれば気の合う友達でいられるのに、こういうことで揉めたくなかった。彼女に強く主張する自分を想像してみたけど、それは少し本来の私とは違う気がした。

 

 

中国政府は死刑執行人数を公開していない。しかし、アムネスティインターナショナルによれば、執行人数は年間数千人に及び、世界最多。死刑の対象範囲は日本よりずっと広くて、政治犯や薬物密輸、幼児に対する性的暴行等も死刑の対象になる。

 

アムネスティインターナショナルより死刑統計(2018)

https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/statistics.html

 

もちろん冤罪はまず大きな問題になる。このカナダ人に対する死刑判決のように、中国の三権分立が疑われるような事例もある。

 

APP

https://www.afpbb.com/articles/-/3223220?act=all

 

そして、政治犯というのはウイグル新彊自治区の解放運動にも関わる人々を命の危険に晒すことであって、これが最も人権侵害として問題だと私は思うし、日本の死刑と比較して一番大きな相違点じゃないかな。

 

どうやら歴史的背景も踏まえて考える必要もありそう。(未読だけどメモとして載せておく)

 王 雲海 中国の死刑制度とその歴史的政治性

http://doi.org/10.15057/28037

 

私は家に帰ったあと、このようにしていろいろと調べてみた。そして、自分の考えを確かめた。やっぱり、死刑は廃止されるべきだし、中国政府は死刑をまるで政治の道具として使っているようにしか思えなかった。

 

そして思ったのは、彼女は果たしてこのような事実を知っているのかということ。意見に絶対正しいは無いし、絶対間違っているも無い。でも、少なくとも知識を知った上で初めて本当の意見が持てるんじゃないかな。

 

彼女は中国の大学を出ていて、今はドイツの大学でビジネスマネジメントを学んでいる。ドイツ語のレベルも高いし、英語も話せるらしい。もしかしたら、中国の中ではちょっとしたエリートに入るのかもしれない。

 

でも、そんな国際的に見える彼女の価値観はかなりドメスティックに見えた。自分の意見を強く持つのは分かるけど、反対論がいまいちしっくりきていなさそうなことに驚いてしまった。人権とか、冤罪とか、そういうことについてどう思っているんだろう。

 

そういえば、全然別の中国人の友達(この子はアイルランドの大学院でビジネスの修士をしていて、中国で博士過程に行くと言っていた)と話していたとき、音楽の話をしていたら「リアーナは嫌い。だって肌が黒いから。わたし黒人って嫌い。」と何気なく言われたことがある。

 

絶対それはタブー。私以下のひとに絶対にいっちゃだめよと思った。黒人の外見が個人的に好みじゃないという意味だった。でも、それだめ絶対。特に欧米社会では。今回、このときと私は似たような気持ちになった。

 

私は彼女を否定したいわけではないけど、ブログにまとめるくらいにはショックだったみたい。あまり分かってもらえなかったことに。高い教育を受けた人、特に海外に大学に行っている人なんかは、価値観や視野がダイバーズなんじゃないかと思っていたけど、どうもそうじゃないかもしれない。それは何故なんだろう。

 

Sprachcafe 難民のための会話カフェ

ベルリンに来て1ヶ月が経って、語学学校もそこそこ慣れてきて、でも私は学校以外でのつながりが欲しかった。ここに住んでいる人ともっと知り合いたいし、ドイツ語で様々な人と話したい。私はこの町に知り合いがいない。(もちろん夫を抜きにして。)人とのしっかりとした繋がりが欲しかったし、できることなら居場所と呼べる場所が欲しかった。家以外の、わたしを知っている人が必ずいる、できればほっとできる場所が。(最近、移住の最大のロスは人的繋がりの喪失ではないかと思う。日本であった友人関係と同等のものを得るにはきっと数年かかるだろうな。この話はまた別の機会に。)

 

私は2週間前からSprachcafe(会話カフェ)に通っている。週1回、木曜日の16時から17時半までの90分間。無料。素晴らしい場所なので、今回はそれについて書きたい。

 

Sprachcafe、もしくはBegegnungscafe(出会いのカフェ)とは主に地区やボランティア団体によって開催されている「ドイツ語を練習するカフェ」。カフェといってもカフェで開催されるわけではなくて、公的施設の一室を借りて開催されている。

 

私が通っているのはWedding(西ベルリンの移民が多い地区。イスラム教徒の方を沢山見かける。)のもの。こちらはDie Willeという慈善団体によって運営されている。このカフェはVostel.deというボランティアプラットフォームで見つけた。

vostel.de

そもそもは、会話を練習する機会を探すというより、何か地域に関わるボランティアがしたくて(善良なことがしたいというより、ボランティアを通じて友達が欲しかった)Vostelでちょくちょくなにか良い機会が無いか探していた。そこで見つけたのが上記のリンク。すごく興味を惹かれた。日本語にするとこんな感じ。

 

AUSTAUSCH MIT NEWCOMER*INNEN IM BEGEGNUNGSCAFÉ

(出会いのカフェで新たな住人たちとの交流)

BEGEGNUNGSCAFÉとは、老若男女、住んでいる地域、住んでいる年数に関わらず、あらゆる全ての住民が難民と会話ができる場所です。ベルリンでの生活などについて、彼らと会話してみませんか。ここでは彼らと知り合い、彼らの話に耳を傾け、質問もすることができます。言語の壁を壊し、彼らと友情を築きましょう。

  • ボランティアのタスク:難民とリラックスかつオープンに様々なテーマについて話し、必要な情報を与え、良い関係を築きましょう。あなたのドイツ語力の向上にも繋がります。
  • 注意点:他者に対し、興味を持ち、共感し、そして寛容な態度で接することが求められます。ドイツ語をまだ上手く話すことが出来ない相手と会話を楽しむことができれば理想的です。
  • ドイツ語レベルは中級以上であること。

ドイツ語が練習できる、しかも難民と直接話が出来る!

難民って、どんな人たちだろう。今のドイツにとって最重要課題といってもいい難民問題だけど、実際どんな人たちなのか。きっと近くにいるはずなんだけど私は殆ど何も知らないし、知り合う機会も無い。異国であるドイツで、どうやって暮らしているんだろう。私は一応勉強中の身で教える側に回るのは変な感じだけど、中級のレベルだし、メールしてみようかな。

 

初回は行く前から結構緊張していた。誰でも大歓迎って書いてあるけど、私は難民でもないし、ドイツ語初心者でもネイティブでもないし、もしかしたら対象から外れてるんじゃないか?

 

しかし、そんな不安はすぐ払拭された。参加者の中で一番最初に部屋についた私を迎え入れてくれたのはオーガナイザーのドイツ人2人。びっくりするくらい暖かく歓迎してくれた。そして、珍しく出身は聞かれなかった。(後でわかったけど、参加者の多くは出生地と育った国が異なったり、両親の出生地も複雑なので一言で出身国を表せない。こういうことからの配慮かも。)

 

そんな感じで始まった初回。今日は3回目だったけど、毎回来てほっとする。

参加する難民の人たちはみんな明るくて、オープンで、話していてとても楽しい。そして毎回沢山のことを教えてくれる。ドイツ語が上手な人もいるので、もはや私は会話のボランティアというより普通にみんなと他愛もないことを話している感じでもある。一応助ける側として登録したのに、皆んなは私を授業後の孤独な時間から見事に救ってくれている。つい悶々と考えがちな私に、世の中にはいろんな人がいる、世の中にはいろんなことがある、という至極当たり前なことを改めて教えてくれる。

 

簡単にこれまでで知ったことをまとめてみる。

 

まず、難民の人は外見で「難民」であることは全くわからない。

服装はむしろ普通のベルリン市民よりきっちりしていて、清潔感もバッチリ。わたしは勝手に難民=貧しい というイメージを抱いていたけど、そんなことは無いのかもしれない。彼らの実際の暮らしぶりや金銭的な状況はわからないけど、もう数年ベルリンに住んでいる人もいるので、思ったより安定しているのかもしれない。もしくは公的な支援が手厚いのか。

出身国はアフガニスタンパキスタン、そしてシリアなど。アフリカのトーゴ出身の人もいた。

来るのは主に男性で、年齢はバラバラ。大きく分ければ20-35歳くらいの若者と、60歳前後のおじさんに分けられるかな。居住歴もバラバラだけど、若者は数年滞在している人が多くて、ドイツ語が日常生活に困らない程度に話すことができ、結構私と同程度かもしれない。文法は苦手な人が多い。でも、日常生活で使う言葉(日用品の名前とか、役所の名前とか、仕事に関する単語)には強い。私より全然知っている。

語学学校に通っている人や、高卒資格が得られる学校に通う人やAusbildiung(職業訓練)の最中の人など様々。なお、ドイツには難民向けに600時間のインテグレーションコースが提供されていて、ドイツ語+ドイツの政治+ドイツの歴史などについて一部の語学学校や市民学校で学ぶ。修了後、テストを受けて合格すると居住許可がもらえる。このコースは安価、もしくは無料で受けられるらしい。ちなみに、居住許可だけで、選挙権はもらえない。この制度が彼らのインテグテーションの第一歩であり、超重要事項であるらしい。

 

一方、特に大変そうなのは60代前後の難民の人。まず若者と比べて、ドイツ語がなかなか身につかない。単語を並べてなんとかコミュニケーションはとれるけど、住むには結構苦労が多いんじゃないかと思う。同じ出身国の難民で助け合って語学の困難をカバーしつつ生活しているように感じる。また、祖国でしていた仕事ではなく、ここであたらしくAusbildung(職業訓練)をドイツ人の若者に混じって受ける人もいる。勤務態度がドイツ人の若者より真面目なので、Ausbildungの受け入れ先のオーナーに難民の壮年層は最近人気とのこと。仕事内容は、レストランの調理場や作業員など。祖国でしていた仕事でなく、全く新しい仕事を探す人も多い。そして子供も一緒にドイツに来ていたりするので、自分の状況と子供の教育や仕事探しなど、悩みは尽きない様子。ある人は新しい仕事を見つけたところ、無休で数日間働かされたらしい。「難民は言葉が不自由だ。それを悪用するオーナーが多い。」といっていた。

 

書きたいことはたくさんあるけど、もう夜中なので今日はここまで。

 

仕事はつらいもの なんて間違ってる#社会人1年目のわたしへ

以下もまたnoteからの転載。#社会人1年目のわたしへ というテーマで書いてます。会社に新卒で入ってからの3年間をセンチメンタルチックに語ってます。私は中学から高校まで体育会系で、また高校も戦前からある地方の伝統系公立高校(長鉢巻つけた応援団という生きた化石が存在する)だったので、部活も受験も辛くても耐え抜けお前のためになるというカルチャーが根強く存在しました。大学に入るまでは私もその思想に傾倒していたのですが、大学には自由で肩の力が抜けた人が多くて、自分の中の根性論が薄まった気がします。でも、やっぱり一般受験→現役合格→長期・短期留学→4年で卒業→就職と、最短コースでここまで目標を達成してきた私は、人生の中で本当の意味で一度も立ち止まったことがなく、こころの中でなんとなく根性論が生きていたような気がしています。ただ、パートナーのドイツ的影響からは逃れられず、私は新卒の頃から1.できれば定時帰り2.無理しないという2大原則を掲げていました。でも、環境的に実現は難しく、会社という日本社会の凝縮エッセンスの中でだんだんと私の中の根性論も息を吹き返してきたように思います。辛いという感覚が勲章のように感じた時期もありました。でも今は、そんなことないと思います。義理の両親が言ってくれた言葉は、まだ仕事が怖い私にとってお守りのようなものです。

 

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私の3年間の社会人生活は、どちらかといえば辛いことの方が多かった。はじめは先輩についていれば良かったけど、段々責任が増すにつれて、クライアントの矢面に立つ場面を増えた。今思えば、私は入社数年目にしてはあまりにも大きなことを任されていたと思う。当時はそれがやりがいでもあった。でも、日増しに強くなる辛さを、わたしはどう処理すればいいのかわからなくなっていた。

若い時の苦労は買ってでもしろ。私もそうだと思っていた。この辛さに耐えないと、立派な社会人になれないんじゃないか。同期も大学時代の友人も同じように辛そうなんだから、この程度でくたばっちゃいけない。きっと、誰もが通るべき道なんだ。それに、私はそんなに弱くない。

会社の先輩や上司たちも、私の考えに拍車をかけた。「仕事はそもそも辛いもの。」「お金を稼ぐっていうのはね、辛いことも我慢しなきゃいけないってことなんだよ。楽しいことばかりじゃない。」

でも、その後わたしはうつになって、休職して、退職した。そして今、新しい場所を求めてドイツに来た。今わたしが思うのは、新人時代に辛いのが当たり前なんて、そして追い詰められるまでに辛いことにも耐えなくちゃいけないなんて、間違っているということ。

辛さにも人それぞれ、閾値がある。そして、どの辛さに自分が対応力があるのかは人によって違う。わたしは、特に相手からの敵意や言葉に対してはすごく弱いらしい。社内での愚痴や悪口。クライアントからの見下したようなメール。そんなのスルーすればいいんだよ。気にしすぎ。何回も言われたけど、一つひとつが釘のように刺さってしまう。

わたしのドイツの義両親がこんなことを言ってくれた。「仕事は辛いものなんて間違ってる。楽しくなければ仕事ではないよ。」同世代のドイツ人の友人も仕事と辛さをセットで考える人はなかなかいない。誰もが羨む大企業だったり、都会にオフィスを構える会社ではない。田舎の小さなIT企業だったり、大学の事務部だったり、高校の教員だったり。夫のお姉ちゃんが仕事が大変というので心配してたら、今度2週間海外旅行に行くらしい。大変のレベルが違う笑。

ドイツにいると、私って結構我慢強い方だと思えてくる。そして大体の日本人が多分そう。辛くても投げ出さない。だって、周りも頑張ってるから。みんなが一度は通る道だから。

でも、もし結構辛くなったら、それが自分の閾値を超える前に、その場所から逃げてほしい。辛さを乗り越えるなんてしなくても、楽しく仕事してる人は世界にたくさんいる。辛さなんて、人生に少ないほうがいい。

#社会人一年目の私へ

ドイツの若者は英語ペラペラだけど意外と地元思考だったりする

以下記事はnoteからの転載です。noteというプラットフォームに挑戦したはいいものの、なんというかプロフィールの経歴マウンティングが盛んな感じが苦手なので、やっぱり自分のブログに書いてみます。そして、私の文体もnote風になっているという不思議笑 

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noteにいる人は日本人の中でも「意識が高い」人たちだと思う。そしてなんとなく、英語を身に着けたほうがいい、早く海外(特に欧米)に出たほうがいい、若くして海外就職した人はなんとなく勝ち組にカテゴライズされるような、そんな雰囲気があるような。

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Photo by Roman Kraft on Unsplash

私は今ドイツに住んでいる。移住してきたのは2ヶ月前なので短いと思うかもしれないけど、ドイツ人のパートナーを通じてここ5年くらいは結構ドイツ人とドイツ語で接する生活をしてきたので、ある程度文化やメンタリティーは理解しているつもりである。

そしてわかったのは、ドイツのふつーの若者は結構地元で進学、就職する人が多いということ。

まず、日本のように、大学進学のために「上京」するのは結構珍しい。ドイツには偏差値も大学ランキングも無く(検索すればランキングは出てくるが、それを気にしている人は殆どいない。大学名より成績が大切。)、地方都市にの創立数百年の立派な大学があるのでそのまま進学する。大学によって多少有名な学部というのはあるので、それを理由に別の町から進学してくる学生はいるらしい。

また、ドイツ人にとって家族やパートナーとの時間がとても大切。だから、大切な人と遠く離れた場所に留学や就職をするのは結構「すごい」ことらしい。ヨーロッパにはエラスムスという留学制度があって、EU内なら簡単に留学(遊びに行く感覚の人も多い)できる。EU内なら簡単に帰国もできるし。ある友達はオランダに1年間留学していたが、オランダとドイツは隣国なので留学中も電車で2時間くらいで実家に帰れるという環境。近い。日本などアジアに留学する人はまれで、よくそんな遠くに行くよねタフだよねといったイメージ。

夫の友達はほぼ全員地元の会社か大学、または電車で2時間以内くらいの周辺の町で働いている。夫のある親友は地元の大学で化学の博士課程を終えて、今就職活動真っ最中。彼はアメリカで数ヶ月研究をしていたこともありドクターまで持っているので、望めばアメリカを始め海外でも十分仕事はあるはず。でも、彼の彼女は今地元にいるので、彼女に電車で1-2時間で会いに行ける範囲で仕事を探しているらしい。

夫の友達は全員英語を不自由なく話すことができる。これは例外的なことではなくて、多くのドイツ人の若者に当てはまる。ドイツの高校の英語の授業は実践的らしく、普段から英語のコンテンツを見るひとも多いからだとか。しかし、彼らは日常的に英語を使うわけでも無ければ(仕事でも日常生活でも)、留学するわけでもなく、海外に就職するわけでもない。多くの日本人からしたら、もったいないとか思われるかもしれないけど、彼らはには多くの人が留学や海外就職に憧れる風潮がよく理解できないのかもしれない。自分にとっての快適さや、自分の趣味、大切な人との関係。彼らを見てると人生無理してないというか、誰かと自分を比べたりしないで、着実に自分の人生を歩んでいってるように見える。

日本にいると、どうしても周りと比べたり、社会の風潮に流されたり。もし、もっと英語話せたほうがいいんじゃないかとか、海外に出たほうがいいんじゃないかとか、ぼんやりと思っている人がいたら、実際海外のひとは結構地元思考だったりするよって伝えたい。外に出るといろいろ感じる事があると思うけど、無理する必要は全然ない。結局は自分と、自分の大切な人の幸せが一番大切なんだ。

みなさんはどう思いますか?

ベルリンの物乞いについて思うこと 

私は日本でよくBig issueを買っていたのでホームレスの人とたーまに会話する機会があったりした。(ちなみにBig issueのホームレス人生相談というコーナーがすごく良い)ベルリンの貧困問題、社会問題にも住んでいて思うことがあるので書いてみる。

 

 

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Photo by Matt Collamer on Unsplash

ベルリンは物乞いが多い。

物乞いっていうと少し見下したようなニュアンスを感じるけど、日本語にはこれしかないので物乞いと呼ぶことにする。またはホームレス。でも街で遭遇する彼らに家があるか私には知りえないので、やっぱり物乞いと呼ぶことにする。英語だとBegger、ドイツ語だとBettler。日本では本当の意味での物乞い、つまり金銭や食べ物をひとにリアルに乞うてる人はほぼ見かけない。もはやリアリティーのない言葉ともいえる。

 

ドイツのBettlerは本当にお金や食べ物を乞うている、文字通りの物乞い。街に出て、電車で移動30分、乗り換え2回もすれば一日に2-3回は彼らに会うことになる。日本から来るとその存在と彼らのアピール力(後述)に驚くけど、ドイツの他の都市と比較してもベルリンにおけるBettlerの存在感は突出している。他のヨーロッパの所謂大都市に行ったことはあまりないので、首都はどこもこうかもしれかいけど、とりあえず存在感がすごい。

 

まず、よく会うのが人通りの多いメインストリート。特に銀行やスーパーなど「人が集まるかつ、財布を開く場所」の入口。ただ座って、お金を受け皿として紙コップを置くだけの「受け身」のBettlerもいる。他のドイツの都市でもこのような受け身的Bettlerは見かけるけども、ここベルリンでは少数派。逆にすごく積極的でどんどんアピールしてくる人が多い。

 

まずよく見るのが、紙コップを持って様々な通行人に話しかける人。大抵ちょっと話しかけ方が雑なので、あまり成功していない。

 

Bettlerの中には身体障害のある人(手足の一部に障害がある、切断した人、大きな火傷を負っているように見える人など)も多い。彼らは患部をよく見えるようにしながら、寄付を呼びかける文句を言っている。それは感受性にすごく訴えかけるので、私も無視をすると少し心が痛む。しかし、もちろんドイツは先進国であり様々な公的な支援があるわけで、彼らが本当に困っているのなら何故そういうサービスに行き着けないのかと思う。

 

彼らの障害の程度もこちらはよくわからない。例えば、火傷なら傷を肌の上から書くことも出来るわけで、彼らをどこまで信用していいのか私にはわからない。

 

あとは、表現力が豊かな人。近くのメインストリートに、地面に座りながら、今にも泣きそうな表情で道行く人に手を合わせている女性がいる。彼女はすごくかわいそうなのだが、これについてもどこまで信用していいのかわからない。物乞いでそんなにお金は稼げないはずなのに、すごく飢えているとか衣服に困っていそうな様子はない。だから彼女についてはどうしても演技しているのではと勘ぐってしまう。

 

ただ、私は一回だけお金をあげたことがある。それは、日本でいうBig issueのような雑誌を電車内で販売していた人がすごく丁寧な人だったから。雑誌についての説明に続いて、自己紹介と自分の社会的状況について説明していて(そして、私が理解できるほどはっきり話してくれていた)、彼には支援したくなった。雑誌ももちろん読みたかったから。中には押し売りしてくる人(ちょっと怖い)や雑な人も多いのでしっかりしてる人から買いたかった。でも、お釣りをくれなかった(笑)

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どんな世界、どんなベルリンに我々は住みたいのか?共に考えよう


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『健康とは何か?』

 

駅や電車内もBettlerによく遭遇する(というか私は必ず遭遇する)スポット。電車に乗っていてGuten Tag! と演説を始めるひとがいたら、それは彼ら。みんな様々に工夫を凝らしたり、凝らさなかったりしている。

 

たとえば

- 駅の入り口の観音開きのドアを押さえる人(雇われてるわけではない)ちゃっかり紙コップをアピールしてる

-彼女と犬と一緒に乗ってきて、30分くらい普通に話しているのでただの乗客かと思ったら、突然思い出したように施しの呼びかけを始めた若者。そのカジュアルさに驚く。そして強めベルリン方言だった。

−ホームにいる一人ひとりに" Spende(施しを)??" と聞きまわるひと。見たところそんなに困っているようには見えないし、これでお金をあげる人は一体いるのか。。。

 

わたしが留学中に住んでいたアイルランドのある街もホームレスが問題になっていて炊き出しに参加したこともあったりして、だから私は彼らについて批判的な訳では全然ない。むしろその逆で、彼ら全員が社会のセーフティーネットによって救済されるべきだと思う。だからこそ、何故ベルリンにこれだけ必死に日銭を稼ぐ人がいるのかすごく不思議に思う。積極的だから目立つだけ?それとも別の理由があるのか?とりあえず暖かい季節に向かっているから、彼らが寒さで凍える日は減っていくね。

みっともない(MITTOMONAI) という概念

ドイツでたまに慣れないことがあって(い所謂カルチャーショック)、どうしようもなく悶々とするとき、ああこの概念はこの国には(もしかしたら日本以外には)無いかもしれないという結論に至ることが多い。

 

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Photo by Pablo Heimplatz on Unsplash

前々から気づいてたけど、最近暑いから尚更だけど、ブラジャーが見えてる女性が、多い。紐だけならまだマシな方で、6割くらい露わになってる人もちらほら存在。今週末は暑かったからタンクトップが人気で、でもタンクトップから見えないようにするとか、響かない下着を選ぶとか、(日本ではこの時期になると透けない!響かない!系のインナーが人気だよね)その類の考え方はもしかしたら、無い。

 

見ないようにすればいいんだけど、数が多いから避けにくい。だんだん悶々としてきた。下着が見えないようにするのはマナーじゃないのかしら?本人は恥ずかしくないのかしら?みんな、何とも思わないのかしら。。。

 

昔の話をすると、私の教育担当は基本おばあちゃんだった。ゆえに、その方針は若干out of dateだったかもしれない。「高校生が短いスカートなんてみっともない」(でもその頃は短さが正義だと思っていた)「毛玉のついた服で出るなんてみっともない」「それはみっともない」「これもみっともない」多分ブラ紐についてもおばあちゃんはみっともないと言うと思う。わたしだって、見てて「みっともないなー」と思う。

 

でもよくよく考えてみた。彼らは直接的に誰にも迷惑を掛けてはいない。そもそも、これは女性だけの問題なのか?私はたまに腰パン(絶滅危惧種?)している若い男性を見ても、ちょっとダサいなーという感情以外は、なんかもやもやするとか、みっともないなーとか、特に思わない。これもちょっと不平等である。セレブの世界では、私が敬愛するLady Gagaや新生パリジェンヌであるJanne Damasはフリーニップル主義者で、今やそれ(信じがたいが)一種のトレンドらしい。ブラ紐が見えるより格段に由々しき問題なはずなのに、彼らの写真のおしゃれさからか、このスタイルもだんだんとオシャレに思えてくるような。。。

 

ひとまずの結論としては、私もこの社会では「みっともない」わたしでいることが許されるので、それを謳歌してみるのもアリかな、でもやっぱナシかな、と思ってる。自分が自由でいるためには、他の人の自由も許さなくちゃいけない。MOTTAINAIが結構前にブームになったけど、MITTOMONAIもなかなか日本的な価値観だよね。自分の中に小さな日本があるのを、こうやってたまに発見する。