Berlinからの報告

キリストが生まれて既に2000年以上が経ったのに私達はまだ小さなことで悩んだり人と比べて落ち込んだり羨んだりしている。私達は歴史の中の小さな点に過ぎないけども、でも確かに存在する。自分を誇れる有意義な点でいたい。

今度から自分の力は自分のために使おうと思う

ここ2年間、わたしは仕事をしてなくて、だからこそ自由な時間はたっぷりあった。

その反面、なんか満たされない。

全然社会に貢献できてないじゃん、生産できてないじゃん、私はなんの価値もプロデュースしてないじゃん(価値創出。改めて書くと変な言葉)。そんな気持ちに週一くらいで駆られてきた気がする。


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でも最近ふと思いついて、結構自分でもいいなと思ってるモットーがある。それは「自分に与えられた力を自分の幸せために使う」ということ。自分で考えた。この言い方は一番しっくりくるし、結構納得感がある。

私がまだ東京で2年目社会人をしていた頃、結構毎日忙しかった。同世代の東京内の友達はまあみんな誰もそうだと思うけど、常時なる早×マルチタスク。面白いので、ちょっと今思いつくだけ、よくしてた業務を書いてみる。

メディアイベント準備調整準備調整(めっちゃしていたので2乗する)報告資料作成、請求書作成、請求書処理、関連記者訪問、季節の挨拶が入ったメール後日送信、スケジュール調整、紙面露出確認、記事英訳英訳英訳、たまにシュレッダーのゴミをだす。

その頃の自分を甘い目で見れば、私は結構なんでもサクサクっと卒なくこなせてたと思う。特にペーパーワーク関連。こつこつ正確に英訳したり資料を作るのは得意。だから、よくも悪くもいろいろ任せられてたのかなーとベルリンの地で振り返ったりしてみている。私にはそういう能力(ケーパビリテぃ)があったとする。それを行う気力、体力、時間もあった。

人にはひとりひとり、力が与えられていたとして、そして時間も与えられているとして、それを何に使えばいいんだろう。そう思ったとき、私は今度は、その力を社会のためとか、会社のためとか、クライアントのためとか、上司のためとかじゃなくて、一切を自分のためにつかえば良いと思った。若干語弊があるかもしれないけど、自分のためというのは、自分と周りの人のハピネスのためということ。周りの人が喜んでくれると私も幸せなので、結果的に全部自分のためである。

例えば、ドイツ語。ドイツ語の勉強自体が興味深く面白いし、日常生活もドイツ語レベルがアップするにつれ理解できることが増えてより楽しくなる。しかも、ドイツ語を使ってだれかの役に立つこともできる。電波がなくて困っているひとの携帯をWifiに繋げてあげるとか(昨日発生)、道を教えてあげるとか(これは先々週)、何か困っている人を助けてみる。もちろんドイツ語ができなくても出来るかもしれないけど、やっぱり公用語がしっかり話せるというのはコミュニケーションをするとき大きな自信になるので、今日も私はベルリン歴3か月のくせに道を教えたりする。

あとは、日本語を教えること。最近友達が欲しいという下心もあって、何人かとタンデム(言語交換)をしている。といっても、私は日常生活と学校で十分ドイツ語を話す機会があるので、あまりドイツ語を教えてもらっている感はなくて、毎回のタンデムはミニ日本語教室と化している。2時間くらいみっちり。やっぱり相手に感謝されると嬉しいし、ベルリンに日本人が多くないこともあって、できるだけ助けたいし、わかりやすく教えたい。日本語を教えるボランティアは日本でもたまにしていたけど、わたしも相手も常時ハッピーである。

最近追加されたのは、アラビア語。始めた理由は何個かあるけど、一番大きいのは、私がアラビア語を勉強したり話したりするだけですごく喜んでくれる人がいるから。難民のためのカフェで知り合ったシリア難民の人たちや、電車で知り合ったイエメンから来た家族。まだ、簡単な挨拶しかできないし、文字を一つ一つ覚えている最中という究極にビギナーレベルなのに、みんなすごく喜んでくれる。私は誰かが日本語を勉強してるってだけでこんなに喜べるのかな。ある人は、日本人がアラビア語勉強するってすごく面白いし嬉しいと言ってくれた。そう言われて私もうれしくなった。

こう見ると、私は言語が好きらしい。なにかコツコツ勉強するのは好きだし得意なので、言語学習は私の性格合ってるのかもしれない(日本語を教えることも言語学習だと言える、だって日本語の構造を知らないといけないから!)。そして、誰でもそうかもしれないけど、誰かが困っているのを助けたり、そして誰かに喜んでもらうことも好きだ。間接的ではなく、もっと直接的で、パーソナルな形で。

つまり、自分の時間と力を自分の幸せのためにだけ全力投入する。私は幸運なことに住む場所も生活資金もある。だから闇雲に、なにかしなくちゃいけない、働いたりしなくちゃ、社会とつながらなきゃいけない、そういう気持ちに駆られるんじゃなくて、今ある「時間」とわたしが自分と誰かのために使える「精神力」と「体力」があることに感謝して、自分の気持ちに素直に従いながら、自分のハピネスに従事すればいいと思う。請求書作成や資料準備に終始使用されていた私の時間と気力と体力を、いまは自分と自分の大切な人のハピネスのためだけに使えばいい。たぶんそうしていれば、自然と景色が開けてくる。