Berlinからの報告

キリストが生まれて既に2000年以上が経ったのに私達はまだ小さなことで悩んだり人と比べて落ち込んだり羨んだりしている。私達は歴史の中の小さな点に過ぎないけども、でも確かに存在する。自分を誇れる有意義な点でいたい。

わたしのメンタルについての所感


わたしがうつと診断されてから1年半。今までは自分のことは自分が一番良くわかっていると思っていたけど、この1年半は自分のことがわたしは一番よくわからない。それくらい不安定で気まぐれなメンタルとわたしは二人三脚で歩んできた。




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この疾患は人によって症状の出方に差があるけど、私の場合は楽しいときはものすごく楽しい。好きなKPOPアイドルのライブ中継は全力で自宅応援するし、服も相変わらず好きだし、料理も工夫していろいろ作ってみたりする。ベルリンに来てからは自分史上最高と思われるコミュニケーション能力を発揮していて自分でも驚く。本屋や電車の中で近くにいた人に自分から話しかけて連絡先聞いちゃったりして(若干不審でもある)、ベルリンという新しい環境がそうさせているのか、それとも私が突然変異したのか。ドイツ語の宿題もバリバリするし、なんかアラビア語とか始めだすし、この謎のエネルギーがどこから来ているのか自分でもよくわからない。キノコを食べて無敵になったマリオの如く、私はまさに今自分でも意図せず無敵モードな気がする。

でも、無敵モードは永遠に続かない。多分ずっと無敵モードならそれはそれで大変に疲れる。定期的にメンタル最弱期は訪れて、それがいつやって来るのか自分は予想できない。例えば、パニックアタック(症状は2年位あったのに最近はじめてその名前を知った)。こう文字にしてみるとなかなか深刻な感じがするけど、私の場合は突然動悸と息切れが起こり、立っていられなくなるのが10分くらい続く。大体2週間~1ヶ月に1回くらいの頻度で起こる。うつと診断される半年前くらいからそれは稀に起きていて、発生するのは決まって電車の中だった。何故か会社に行かなくなってからのほうが頻度は多くなり、場所も電車ではなく、街でショッピングしているときに起こることが増えた。そして、一番頻発するのは何故かIKEA。私は家具が怖いのか。いや、多分そうじゃなくて、自分でも直接の理由はわからない。それが普通らしい。突然、理由もなくやってくる。(でも最近はそんなに症状強くないよ)

ここからはメンタル最強期、最弱期に関わらず、ここ2年のメンタルの全体的な変化としては、まず豆腐並みに打たれ弱くなった。超傷つきやすい、ガラスのハートならぬ、豆腐メンタル。相手の心証に非常に敏感で、少しでも自分に対するネガティブな感情を感じ取ると、激しく傷つく。言い換えれば、相手の感情が瞬時に読み取れる能力が身についてしまったのかもしれない。

例えば、レジの会計。冷たく接客されて、傷つく。そして、その感情を1日引きずる。別名サービスの砂漠と呼ばれるここドイツでがそれは非常に高い確率で起こりうるので、以前はできるだけ優しそうな店員のレジに並ぶようにしてたけど、最近はBIOスーパーとトルコ系スーパーの店員さんは総じて皆優しいという法則を見つけたので、レジで無駄に傷つくことは減った。対策大事。

あとは、「究極的に無理な人」というカテゴリーが自分の中に出現した。究極的に苦手な人。会ったり、思い出したり、ましてや連絡を取るのも絶対無理で、そのうちの一人が2週間だけ授業を担当していた語学学校の先生だった。クラスメイトは何とも思ってなかったかもしれないけど、彼女が私の名前だけ1度も呼ばなかったり(多分覚える気がない)、授業後に質問したらあからさまに嫌な顔をされたり(多分一刻も早く帰りたいんだと思う)、授業中はその熱意の無さが滲み出ているのに、そして私へ関心はゼロなのにも関わらず、私に満面の笑みを向けてくる彼女がわたしは徹底的に無理だった。彼女の言動は教師としていろいろと問題があったので、きっちり学校の運営チームに報告しておいた。泣き寝入りはしない。

ここ最近はブログを更新するくらいの活力はあるけど、わたしのカレンダーのメモによれば5月中旬から6月中旬は相当沈んでいたらしい。何にもできないというわけでもなく、KPOPも聞くし、授業にも行くし、美容院にも行く。明日の服とメイクを前の日に決めてみたりもする。普通に楽しい瞬間がある。でも、ひとりで街を歩いていて、突然辛くなる。何が辛いのか自分でもわからない。自分のメンタルが多面的すぎて全然把握できない。

仕事で無理しなければ、あの会社を選んでいなかったら、わたしはうつにならなかったかもしれない。
そう思っていた時期は結構長くて、今でもたまにそう思う。発症してからはもちろん辛いことが多くて、この疾患は怪我と違ってはっきりと目に見えないから自分でもよくわからないし、だからこそ家族にもしっかり説明はできていない。何回も言うけど、自分でもよくわからない。

でも、もしかしたら、うつになったことはネガティブな面ばっかりじゃないかもしれないと、私は最近考えるようになった。

まず自分の好きなもの、自分にとって大切なものが以前に比べ非常にクリアに、明確になった。何もしたくないほどしんどい時にも楽しめるものは、本当に自分が好きで大切なものなんだと思う。

まずは、言語。診断を受けてからも休むことなく一定のペースでドイツ語の授業に通ってたし、むしろ会社にいた頃はドイツ語が救いだった。勉強しているときは無駄なことを考えないで、無心でいられる。損得とかそんなの一切考えないでひたすら単語を覚えるのはあの時の私にとって幸せなことだった。

あとは、食べ物。うつになって食欲減退する人は多いらしいけど、わたしは今まで食欲が落ちたことは一回もない。食べるのも作るのも好き。会社にいた頃は朝自宅でお弁当を作る時間が救いだった。料理をしているときは心が落ち着く。自分が食べたいものを作って、お昼にひとりで楽しむ幸せ。

そして、服。服は昔から好きで、ここ数年は古着が好きになったけど、オフィスで古着のパーカーなんて着れるわけもなく、社内にフンワリ存在するドレスコードを読み取りつつ、浮かない服を着ていた。ヒールもあんまり好きじゃなかったけど、しょうがなかった。特に外に出る時は、クライアントや記者は最低1~2周りは年上なので、社会人数年目の奴だと舐められないように、大人っぽくみられるよう結構気を使っていた。休日の日は反動はすさまじく、上下ぶかぶかのちょっとジャンルがわからない人になっていた。また、あの頃は化粧は義務でしかなく、(彼曰く、あのころ私はメイクが下手だったらしい。そらそうだ、ただの義務だったんだから。)そんなに好きでもなかった。会社を辞めてからわたしの顔面は社会から解放され、目の上をオレンジにしてみたり、唇をブラウンにしてみたり、突然似合う色がわかったりして、初めてその楽しさを感じられるようになった。本日のわたしはというと、髪の毛は緑色で(紫から色落ちして何故か緑になった)、上は下北で買ったお気に入り古着のパーカー、下は表参道で買ったこれもお気に入りのリーバイスである。最近はこんな少年っぽい服にハマってる。毎日なんか違うなーと思いつつ自分の外見を周りに合わせるという行為は、やっぱりストレスだったよなと今になって思う。波はあるけど、今は素直に自分の感性に従うことができて楽しい。

好きなものといえば、人間関係もそうで、それはつまり友人。いい友人だとしても会ったときはやっぱり楽しい盛り上がる話題に終始しちゃったりして、それもそれで最高だけど、やっぱり普段悶々と考えていることとか怒ってることとか、そういうのを知ってもらうのも大切な気がしてきた。もっと素直に自分の気持ちや考えについて共有してもいいんじゃないか。しんどいとか楽しいとかそういう気持ちだったり、「最近忙しいんだよねーはは」みたいに自分に対しても友人に対してもごまかしつついたのも良くなかったのかなーと思ったりして、まあもっと素直に正直になろうと思う。

こんな感じで、わたしはうつになってから、心のガラスの曇りがとれたような気がする。以前は、周りと自分を比べて、「これをしたほうがいいんじゃないか、あれもしたほうがいいんじゃないか」と焦ることが多かった。これという明確な趣味や特技もなくて、でもあれこれ考えることは好きだったりして、でもそんなことエントリーシートに書いたってどうしようもない。自分じゃない他人に無理になろうとしたり、自分に合わないことはしなくていい、好きなことを素直にフォローすればいいじゃん。やっと最近そう思えるようになった。この心境に移行するまでが結構長くて、私は今でもやっぱりトンネルの中にいる気がする。でももしかしたら、トンネルに入るまでの世界よりずっと楽しくて心地いいものがこの先にあるかもしれなくて、それはやっぱり、この疾患を経験して初めて感じた感情だったり、悩んで、悩んで、考えて、考えて、辛かったけどだからこそ、得られるものなんじゃないか。悩んだり考えたりしても全然明確なアウトプットはできないし答えも出ない。でも価値のあるものこそ、はっきり表現できるはずないとわたしは思う。