Berlinからの報告

キリストが生まれて既に2000年以上が経ったのに私達はまだ小さなことで悩んだり人と比べて落ち込んだり羨んだりしている。私達は歴史の中の小さな点に過ぎないけども、でも確かに存在する。自分を誇れる有意義な点でいたい。

人生は短編小説

最近の語学学校の授業のテーマは「仕事」。今受けてるC1コースは一応レベル的には企業にドイツ語でアプライしたり履歴書を書く人も多くいるであろうレベルなので、まあ非常に有意義なテーマではあるけれと、いろいろあって私としてはあんまり進んで話したくないテーマでもある。日本の労働環境はどう?働き方は?とか聞かれたら(実際これまでも何度も聞かれてる)私はネガティブキャンペーンしかできないから!

 

ただ、先生のリーディングマテリアルの選択が非常に良い。ただの長文読解の宿題なのに食い入るように読んだ。ここまでとんがった記事ってなかなかない。少なくとも日本語では。

 

ちょっと話はそれるけど、新たな言語を獲得するということは、アクセスできる情報の量が増えて、それより重要なことは自分にとって新しいモノの見方をする、その世界にエントリーすることができることだと思う。私の情報の海がバーーンっと広がったというか。それはおいといて。

 

 

その記事というのがこちら。ドイツ語読める人は原文でも。グーグル翻訳という神器で全文一気に日本語翻訳もできるし、全然それでも理解できる。

www.stern.de

 

全体をまとめるとこんな感じ。意訳といえば意訳だけどなかなかよく訳せた気がする。エッセンスはほんとこれ。

 

人生はFollow your passion!って言葉、よく言われるけど本当にそれって正しいのか。特に仕事を探す上で。、自分が本当に情熱が持てる仕事、それでいて心の底から楽しい、つまり「夢の仕事」を見つけることが正義であるという風潮があるけど、それは間違っていないか。

約半数の若者は自分のしたい仕事が全くわからないらしい。思春期あたりから親に「そろそろ将来について真剣に考えなさいねー」とか言われるよね、でもそんなこと言われたって、雲の上の城を建設するみたいに、曖昧な仕事像しか描けない。(その位の年頃で知っている仕事の種類なんてたかが知れている)

自分に合った仕事というのは、自分の庭を育てるように、段階的にゆっくりと様々な経験を重ねながら見つけていくものだ。自分でも予想しなかった仕事で成功したり、全く新しい自分を発見する可能性だってある。

自分の「夢の仕事」を見つけるため、1年間に30回のインターンシップに参加したある女性は、「夢の仕事」なんて存在しないことがわかった、と語る。彼女が学んだことは、ひとは様々な仕事を選択する可能性があるということ、そしてどの仕事が自分を満たすかは時間の経過によって変わりうるということ。

人は自分の人生を一貫したストーリーに仕立て上げたいという願望を持っている、とある研究者は解説する。すべての出来事は繋がる、繋げたい、繋がっているはずだと信じたがる。でも実際には現在自分のしている仕事は3年前と全く違っていたり、もしかしたら過去の経験や知識も全く役に立っていないかもしれない。でも、それでいいんだ。人生を綺麗なストーリーに仕上げる必要はない。一貫性はないかもしれないが、面白い、より良い人生を目指す方がよっぽどいい。

だから、人生は短編小説のコレクションなんだ。明日の自分は、もしかしたら今日の自分とは違うかもしれない。考え方だって変わるかもしれない。したいことだって、変わるかもしれない。でも、大丈夫。人生は長く厳しいロングストーリーではなくて、短編小説のコレクションなんだから、全体で一つのハーモニーを奏でる必要さえないんだから。

 

 

わたしだって確かに自分のこれまでの人生を長編小説に仕上げようとしてきた節がある。だってそう。全部の点と点を繋げたいし、今していること、過去にしたこと、辛かったことも含めてなにか将来の糧になるか、繋がってるかしてないと自分を納得させられないから。

 

でも、綺麗なストーリーラインを描いてみても、著者によればなかなかうまく行かないらしい。むしろ、いまいる私は「何でもできる私/何でも選択できる私/何でも捨てて良い私」であるはずなのに、無理に過去の点とつながる点を探したりしてるのかもしれない。現実的な例で言えば仕事は確かに過去に得たスキルセットが活かせれば、それは素晴らしいんだけど、実際に達成できるかは別として、全く別の仕事でもいいんじゃないか。例えば、大学院まで行って教育の修士を取ったあと学校の先生を数年努めてから、なんと大工の職業訓練(Ausbildung)を始めた知り合いの女性がいたりする。ドイツと日本は制度が異なるから、ジョブチェンジについて簡単には比較できないけど、こういうチェンジも有りなのかと思った。

 

自分の選択の自由を狭めているのは、自分自身なのかもしれない。

 

とか言ってる私自身がこの考え方をちゃんと体現出来ているのかといえば、全くそうじゃない(だからこんな記事を書いてる)。

 

さつきだって、10月末に語学学校の全課程が終わってしまうのが怖くて、うちの子(パートナー)に文字通り泣きついていた。語学学校が終わったら私は学生でなくなってしまって、じゃあ私は何になるんだろう。興味のあることはたくさんあるけど、やっぱりとりあえず前職と関係した職が良いかな、日本語活かせるとか。でもこれが、自分の可能性を自分で狭めてるってことだ。

 

私は現状真っ白なら真っ白なりに正直に興味のあることやってみればいいんだと思う。いまいる私と全然関係なくても、それが新しい自分なのかもしれないし、やってみなきゃ何もわからないし。私の庭にはたくさんスペースがあるし、植えたい植物もたくさんあるし、いろんな育て方試してみたいし。まずはちょっと耕すだけでもいいんだから!