BERLIN HANCHIKA nikki

BERLIN HANCHIKA nikki

ベルリンに住んでからのあれこれ。

またブログを公開します!

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

ここは久々の更新です。1年ぶり、かな?

というのも、ブログを暫くのあいだ非公開にしておりました。私のなかのもやもやぐるぐるしたものをインターネット世界に垂れ流しているのがいたたまれなかったので、、、。それを、さっき再び公開に変更しました。

 

過去の記事を見ると、たしかに読んでくれた人、イイね!と思ってくれた人もいたわけです。本人は永久に消してしまいたい文章でも誰かの役に立てたら、それは電車待ってるあいだになんかいい暇つぶしになったとかでもよいので、それは垂れ流す価値がちょっとはあるんじゃないかと思い至りました。

 

私は自分のために書く(それは真面目な日記だったり、はたまた文章ですらない言葉の羅列であったり)のは好き、というか、それで精神のバランスを保っているところが昔からあります。部屋を換気するみたいに、書くとちょっとスッキリしたり。

 

詩人の最果タヒさんが、人に読まれる前提でないと詩が書けない、と言っていました。でも、わたしは全くの真逆で、自分にむけてしか書けないような気がします。

 

ところで、BERLIN HANCHIKA RADIOというポッドキャストを半年くらいしていて、あれは面白いことに、あとから聴き返しても、恥ずかしいとか、変に自省することはないのですよね。それだけ、話すとか書くは異なる作業というか、根本的に違うことなのかもしれません。

 

2020年の記事もここで読めてしまうのですが、その頃、私は基本的に悩みの渦中におります。未来のこと、過去のこと、いろいろです。今も相変わらず渦の端っこくらいにはいますが、それでもだいぶ悩みの濃度が薄まったような気がします。

 

とりあえず本日はここまで。

これからここに何を書くかNo Ideaですが、楽しく書けたら良いなと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いします、Bis dann!

 

2021年1月14日 実家にて

 

かれらの個性の最高の肯定

(2020年のどこかで書いた下書き)

最近ヘルマン・ヘッセにハマっている。

先日ヘッセのオフィシャルサイトを訪れた時(結構前の作家なのにオフィシャルサイトなんてあるんだなと思った)、彼の愛用していた机と椅子の写真を拝見して、それがめっちゃかっこよく見えた。

早速、リビングの食卓机を寝室の角、窓際に移した。我が家には書斎になりえそうな部屋が無いので、寝室の角をそれとした。我が家は半地下にある。だから寝室から外に見えるのは地面。

こうやってすこし部屋をアップデートしたりして、そこに新しい場所をつくったり。いろいろなことが、全然わからない状態を積極的に肯定したい。

わたし以外の誰かになろうとしないこと

一年弱このブログを更新していないのに、読んでくれている人がいるらしい。

特に以下の記事が人気とのこと

ベルリンの物乞いについて思うこと - Berlinからの報告

生産性で人間の価値が図られる社会とその社会に貢献したい私達 - Berlinからの報告

2つ目の記事に関しては「生産性 人間 価値」というキーワードでヒットするらしい。ということは、 生産性 人間 価値 で検索する人が一定数いるということ。

そんなことしなくていい社会に早く変わるといい。なんでそんなキーワードを検索するんだろうって、多くの人が疑問に思うような、そんな社会に。

もっと良くしたい、変わりたい、そんなことばかり。どんなことをしていても、していなくても、そのひとはそのひとなのに。

ベルリンに、二回目の冬が来る。

面接して、いろいろ気づき

先週の火曜日、こちらに来てからはじめて仕事の面接へ行ってきました。

結論から話すと、お互いの要望があまり一致していなかったので、ここで働くことは無さそうです。ただ、今回面接に行っていい収穫があって、それは自分の考えがもっとクリアになったこと。自分で自分に問いかけても曖昧な答えしか出ないし、周りに流されそうにもなります。でも、嘘がつけない状況で誰かにシンプルに問いかけられると、、自分に対しても嘘がつけないんだなと。ちょっと自分のなかで気持ちの整理ができた気がします。

ドイツでの就職や仕事の体験談はネット上に山程ありますが、私は極力見ないようにしています。というのも、一口にドイツで働くといっても、その人が経歴、語学力、性格含めどんな人なのかによって、その経験は全く変わってくるはずです。職場によっても環境は千差万別だろうし、Praktikumにも今回のような即戦力を求めているものから、育成もしてくれる職場まであるはずです。日本語で検索すると更に検索結果は狭まって、特定の人の経験が、あたかもドイツ全土に当てはまるような気さえしてしまいます。

ドイツでは就職にせよ、生活にせよ、まだまだ不明点が多いけど、自分で行動してみて、自分の目で確かめて、一つずつクリアにしていければ全然OKなのです。どこかの誰かが何かを無理だと決めつけても、やってみなきゃ全く分からない。それはここ数年で、わたし自身が理解してきたことでした。

もし私が今迷路にいるのだとしたら、目の前の壁にえいとぶつかってみて「こうすれば壊れるの壁なんだなー」とか、「この壁の向こうにあんま興味なかったなー」と気づきを得たりするようなフェーズなのかなと思っています。

とか言いつつ、私も仙人のように人生を悠々と達観できる心の持ち主ではないので、普通に日々焦ったり凹んだりしております。でも、心の基本設定として、そういうフェーズなんだと思うようにしています。

わたしは過去のブログ記事で無理にキャリアをつなげなくてもいいとか提言してたくせに(下記)最近は前職関連で仕事を探していました。言い訳をすると、何もかも新しいであろう環境の中でも「仕事内容をある程度理解している」という安心感があるし(ステイブルな安心感はブランニューな環境で生きている私にとってはやっぱり重要なのです。。。)、また未経験の興味のある分野への橋渡しになってくれそうだったから。

zweitesfruehstueck.hatenablog.com

余談ですが、最近古本屋のバイトする人が凄くカッコよく見えてます。ちょっと昔の書生みたいな感じが良いのです。

そんなこんなで、私は元気です。日々なすことが刺激強すぎて、もっと楽に生きたいなとふと思ったり。でも、こんな毎日も悪くないかもしれません。

 

 

 

 

人生は短編小説 仕事の選び方、向き合い方

 最近、語学学校で読んだ記事がとっても素敵だったのでシェアしてみます。テーマは仕事の選び方、そして向き合い方。

www.stern.de

 

全体をまとめるとこんな感じ。

情熱を持てる仕事をしなさい、っていう言葉。よく言われるけど、本当にそれって正しいの?自分が本当に情熱が持てる仕事、それでいて心の底から楽しい、つまり「夢の仕事」を見つけることが正義、ほんとうに?

実は、約半数の若者は自分のしたい仕事が全くわからない。思春期あたりから親に「そろそろ将来について真剣に考えなさい」と言われたり、でもそんなこと言われたって、雲の上の城を建設するみたいに、曖昧な仕事像しか描けない。(その位の年頃で知っている仕事の種類なんてたかが知れている)

自分に合った仕事というのは、自分の庭を育てるように、段階的にゆっくりと様々な経験を重ねながら見つけていくものだ。自分でも予想しなかった仕事で成功したり、全く新しい自分を発見する可能性だってある。

自分の「夢の仕事」を見つけるため、1年間に30回のインターンシップに参加したある女性は、「夢の仕事」なんて存在しないことがわかった、と語る。彼女が学んだことは、ひとは様々な仕事を選択する可能性があるということ、そしてどの仕事が自分を満たすかは時間の経過によって変わりうるということ。

人は自分の人生を一貫したストーリーに仕立て上げたいという願望を持っている、とある研究者は解説する。すべての出来事は繋がる、繋げたい、繋がっているはずだと信じたがる。でも実際には現在自分のしている仕事は3年前と全く違っていたり、もしかしたら過去の経験や知識も全く役に立っていないかもしれない。でも、それでいいんだ。人生を綺麗なストーリーに仕上げる必要はない。一貫性はないかもしれないが、面白い、より良い人生を目指す方がよっぽどいい。

だから、人生は短編小説のコレクションなんだ。明日の自分は、もしかしたら今日の自分とは違うかもしれない。考え方だって変わるかもしれない。したいことだって、変わるかもしれない。でも、大丈夫。人生は長く厳しいロングストーリーではなくて、短編小説のコレクションなんだから、全体で一つのハーモニーを奏でる必要さえないんだから。

 

 

わたしも確かに自分のこれまでの人生を長編小説に仕上げようとしてきた節がある。全部の点と点を繋げたいし、今していること、過去にしたこと、辛かったことも含めてなにか将来の糧になるか、繋がってるかしてないと、やっぱり自分を納得させられない。

 

でも、綺麗なストーリーラインを描いてみても、なかなかうまく行かないものかもしれず。むしろ、今の私は「何でもできる私/何でも選択できる私/何でも捨てて良い私」であるはずなのに、無理に過去の点とつながる点を探したりしてるのかもしれない。自分の選択の自由を狭めているのは、自分自身なのかもしれない。

とか言ってる私自身がこの考え方をちゃんと体現出来ているのかといえば、全くそうじゃない。

現状真っ白なら真っ白なりに、私の庭にはたくさんスペースがあるということで、植えたい植物もたくさんあるし、いろんな育て方試してみたいし。まずはちょっと耕すだけでもいいんだから。そう考えてみると、ちょっと楽になったり。

生産性で人間の価値が図られる社会。その社会に貢献したい、わたしたち。

政権放送を最後まで真剣に聞いたのは初めてだった。山本太郎の政権放送、すんごく良かった。感動しちゃったかもしれない。彼の日本社会の捉え方は完全に私と一致していて、彼は最近特によく言われている「生きづらさ」を初めてちゃんと言語化できているように聞こえた。

あなたは自分が生きていても許される存在だと、胸を張って言えますか。あなたは自分がただ生きているだけで価値がある存在だと、心から思えますか。あなたは困っている時に、助けてほしいと声を上げられますか。

この問いに全て言える、思える、できると答えられた人はどれくらいいますか。そう多くはないと考えます。なぜなら、あなたに何ができるんですか、あなたは世間の役に立ってるんですかっていうような空気、社会に蔓延しているからです。

だから、そんな社会を、政治を変えたいんです。生きててよかった。そう思える国にしたい。それは無理だと思いますか。私は思いません。

 

過労やうつが蔓延するような、こんな社会自体に責任があるのに、わたしはそれでもその「社会」に貢献するために、また働くことを通じてしか、わたしはわたしに満足できないのか。そもそも、働いてないひと、生産しないひとには、価値がないのか?いや、絶対違う。

 

あなたに何ができるんですか、あなたは世間の役に立ってるんですかっていうような空気か社会に蔓延している。物心ついたときから、ずっとそうだったはず。

 

生産性で人間の価値が図られる社会、それが現在です。これが加速すれば、命を選別する社会がやってくる。医療費を口実に、生産性を言い訳に、人間の生きる価値を、期間を、一方的に判断される時代がもうすぐそこまで迫っている。

 

生産性で人間の価値を測るという価値観、これは障害者だけじゃなくて、すべてのひとに適応されているんじゃないだろうか。人間は機械じゃない。一人ひとり違う個性があって、考え方があって、生きているだけで価値がある。そのはずだよね?そうだったはずだよね。

過去に何を生産したか、いま何を生産しているか、そして未来でなにを生産したいのか?こんなことばかり、ずっとわたしたちはこう問われ続けてきた。もしかしたら、学生時代も、将来の生産のために勉強をしてきたのかもしれない、させられてきたというか。

価値やモノを生産するというのは、言い換えれば、社会に「活用される」とも言える。そして、自分のなかでも強く「活用されたい」と願ってしまっている。何でだろう。

 

ふんわりした社会の雰囲気とか、価値観というのは、言語化されて初めて目に見えるようになったりする。女性が何故か常にサポート役に回ることが期待されている、そんな当たり前すぎた雰囲気に「女性蔑視」という言葉が与えられて初めて、当事者のひとりであるわたしも「あれは女性蔑視というんだ、わたしは何も悪くなかったんだ。そうする必要さえなかったのに、社会にそうさせられていたんだ。」って思うことができるように。

 

答えが出たからこの文章を書いてるんじゃなくて、わたしも答えがわからないから、文章に書くしかない。わたしたちは何故こんなにも何かを生産したいのか、わたしを活用されたいのか。もし、それが社会の要請に答える為だとしたら、社会に評価されたいという欲から生じるんだったら、仮にこの社会が全く別の社会に変わったとして、わたしたちはそこで初めて自分の現状に満足できるんだろうか。

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わたしの力は わたしのために

人にはひとりひとり、力が与えられていたとして、そして時間も与えられているとして、それを何に使えばいいんだろう。

そう思ったとき、その力を社会のためとか、会社のためとか、お客さんのためとか、上司のためとかじゃなくて、一切を自分のためにつかえば良いと思えたら、ちょっと楽になれた。自分のためというのは、自分と周りの大切な人の幸福のためということ。周りの人が喜んでくれると私も幸せ。

つまり、自分の時間と力を自分の幸せのためにだけ全力投入。闇雲に、気持ちに駆られるんじゃなくて、今ある「時間」とわたしが自分と誰かのために使える「精神力」と「体力」があることに感謝して、自分の気持ちに素直に従いながら、自分の幸福に従事。様々なことに終始使用されていた私の時間と気力と体力を、いまは自分と自分の大切な人の幸福のためだけに使えばいい。たぶんそうしていれば、自然と景色が開けてくる、はず。

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