Berlinからの報告

キリストが生まれて既に2000年以上が経ったのに私達はまだ小さなことで悩んだり人と比べて落ち込んだり羨んだりしている。私達は歴史の中の小さな点に過ぎないけども、でも確かに存在する。自分を誇れる有意義な点でいたい。

面接1件目を経ていろいろ(内面的な)気づき

先週の火曜日、こちらに来てからはじめて仕事の面接へ行ってきました。

結論から話すと、お互いの要望があまり一致していなかったので、ここで働くことは無さそうです。

ただ、今回面接に行っていい収穫があって、それは自分の考えがもっとクリアになったこと。自分で自分に問いかけても曖昧な答えしか出ないし、周りに流されそうにもなります。でも、嘘がつけない状況で誰かにシンプルに問いかけられると、、自分に対しても嘘がつけないんだなと。ちょっと自分のなかで気持ちの整理ができた気がします。

今回応募したポジションは建築事務所のPR部門のインターン。ドイツでインターンはPraktikumといって、大学生が空き時間で実践的な経験を積むためにすることが多いのですが、学生のみという求人でなければ基本誰でも応募出来ます。また、有給と無給のものがあって、有給の場合は1時間10ユーロ程度の時給で働くことになります。

この仕事に応募してみようと思った理由はまず、私は仕事に2年のブランクがあるかつ、様子をみつつのドイツで初仕事なので、Praktikumは初めてのポジションとしていいんじゃないかと思ったから。そして、PRなら前職での経験をベースにある程度自信を持って仕事ができるかもなと思ったこと、そして建築事務所にしたのは、趣味として建物が好きだからです(笑)

 

今回の面接はオフィスの社長室のコーヒーテーブルにて開催(会議室が使われているかつ社長が偶然居なかったので)。雰囲気としては、3人でコーヒーでも飲みながら私について話す会、という感じ。かなりリラクシングでした(といっても私は超絶緊張していたのですが)。



握手して軽く自己紹介をして「じゃあ、手短に僕たちに君の経歴を教えてくれる?」と言われて、大学の専攻、前職での仕事内容、いつドイツに来たか等など短く伝えるところからスタート。

ちなみに、」今回話した相手はPR部門のリーダー2人(そう、人事ではないのです!実際に一緒に働く人です)。面接後、わたしはこの二人と話せて良かったなーと思ったのですが、どこに感動したかというと、彼らはとても正直なのです。このポジションに何のスキルが必要か、私に何が足りないか。そういうことを曖昧にするのではなく率直に言ってくれたのが、私はとても嬉しかった。例えば私が「その仕事の経験はありません」と答えると、すぐ顔がうーんと厳しくなる(笑)新卒で就活をしていた頃、面接で落とされた理由がわからないことで悶々としていた経験と比べると、今回は非常に全てがクリアでした。

話す中で早々に発覚したのは、今回のPraktikumには即戦力が求められているということ。PR部門はメンバーの1人か2人が育児休暇取得中らしく、人手不足なので、毎日幅広くお手伝いしてくれるような人がほしいとのこと。その即戦力というのは、まずPhotoshopをはじめとする画像編集ソフトが使えること、そしてSNSのコンテンツ作成に慣れているということ。私は見事にどちらもクリアしていませんでした。一応、募集要項にこの2つの条件も書いてあったものの、日常業務としてSNSのコンテンツマネジメント(=画像をかっこよくしてかっこいい文章と共にアップしたりする)がメインだということは全く分からなかった。PR経験は3年弱あるから結構相手の要望を満たしているかなーと思ったら、そうでもなかったのでした。今ソフト全然使えないけど、仕事をしながら勉強するやる気は十分あります!と答えたんだけども(この回答、超日本的だなと思いつつ)、相手としては部門に私を教育、育成する時間的余裕も無いので、既にスキルを習得済みの人が欲しいとのこと。私も私をサポートしてくれるような環境を求めていたので、結局双方にとって良いマッチングでは無かったようです。

 

そして、「SNSコンテンツを管理してもらうけど、仕事でInstagramはしたことあるよね?プライベートでもよく使うよね?」という質問も。SNSを仕事でそこまで本格的に運用したことはありません、プライベートでは使っていますが、と正直に答えました。

その瞬間、答えながら、そんなにSNSは好きじゃないんだけどなーと頭の中で思ったのです。PRを仕事にするならSNSは超必須な世の中、特に華やかな業界は言わずもがな。だから曖昧な義務感だけ感じていて、本当は大して関心が無かったんでしょう。それが分かったのは大きかった。

あとは、語学力について質問しましたが、そこに彼らは大きな関心が無いみたいでした。普通にドイツ語でコミュニケーションとれてるから思ったのかも。それより画像編集ソフトが使えないのは厳しいなーという雰囲気が圧倒的で「今後アート関連の仕事がしたいなら今からでも学んだほうが良いよ、学生でも出来る人は多いから。つまり簡単だってことさ!」と今後へのアドバイスまで頂きました(笑)

面接で判断するのは私自身、あくまで主体的に

今回の面接は私が相手に一方的に判断されるんじゃなくて、私が主体的にそこで働きたいか見極めて判断を下すのが大事。カウンセラーにそう強く言われていたので、途中で採用されなさそうな雰囲気を感じ取っても一応気持ちは大丈夫でした(もちろんちょっと凹んだけども)。

一緒に働く人は良さそうだけど、もし仮にこのポジションに採用されても編集ソフトが使いこなせるまで大変そうだし、即戦力が欲しいそうだから毎日なにかと忙しそうだな、そう自分で判断できたので良かったのです。あと、わたしを育成する余裕のある場所を探すべきということもわかりました。

情報に惑わされやすいわたし、ゆえに自分ベースで考える

ドイツでの就職や仕事の体験談はネット上に山程ありますが、私は極力見ないようにしています。というのも、一口にドイツで働くといっても、その人が経歴、語学力、性格含めどんな人なのかによって、その経験は全く変わってくるはずです。職場によっても環境は千差万別だろうし(ただし労働法など法律で決められている範囲に置いては一定の「常識」はあるのだろうと思います)、Praktikumにも今回のような即戦力を求めているものから、育成もしてくれる職場まであるはずです。日本語で検索すると更に検索結果は狭まって、特定の人の経験が、あたかもドイツ全土に当てはまるような気さえしてしまいます。

ドイツでは就職にせよ、生活にせよ、まだまだ不明点が多いけど、自分で行動してみて、自分の目で確かめて、一つずつクリアにしていければ全然OKなのです。どこかの誰かが何かを無理だと決めつけても、やってみなきゃ全く分からない。それはここ数年で、わたし自身が理解してきたことでした。

もし私が今迷路にいるのだとしたら、目の前の壁にえいとぶつかってみて「こうすれば壊れるの壁なんだなー」とか、「この壁の向こうにあんま興味なかったなー」と気づきを得たりするようなフェーズなのかなと思っています。

とか言いつつ、私も仙人のように人生を悠々と達観できる心の持ち主ではないので、普通に日々焦ったり凹んだりしております。でも、心の基本設定として、そういうフェーズなんだと思うようにしています。

今は就職より、学ぶ、実践できる場所がベターか?

わたしは過去のブログ記事で無理にキャリアをつなげなくてもいいとか提言してたくせに(下記)最近は前職のPR関連で仕事を探していました。言い訳をすると、何もかも新しいであろう環境の中でも「仕事内容をある程度理解している」という安心感があるし(ステイブルな安心感はブランニューな環境で生きている私にとってはやっぱり重要なのです)、また未経験の興味のある分野への橋渡しになってくれそうだったからです。

zweitesfruehstueck.hatenablog.com

しかし、今回WEB関連のPRに興味があまりない疑惑が浮上。PR関連という選択肢も残しつつ、ひとり作戦会議での議論の結果、即就職以外の道も検討すべきという結論に至りました。

例えば、金を貰いながら職業訓練を受けられるAusbildungや、実践的な勉強できる専門大学Fachhochschuleというのがドイツにはあって、その他にもいろいろと選択肢はありそうです。専攻について考えているものはいくつかあるのですが、またやや悩みが深いので(笑)、なにかしら方針が見えてきたらお伝えします。

余談ですが、最近古本屋のバイトする人が凄くカッコよく見えてます(ちょっと昔の書生みたいな感じが良い)あれって私もバイトできるのかなー。

そんなこんなで、私は元気です。日々なすことが刺激強すぎて、もっと楽に生きたいなとふと思ったりもします(笑)でも、こんな毎日も悪くないかもしれません。

 

 

 

 

お仕事さがしを始め、年末から年始にかけてのいろいろ

ちょっとブログ記事をご無沙汰していました、というのもSNSを控えていたので基本オンライン上から消えておりました。ドイツに来てからInstagramを始めて楽しく続けていたんですけど、Likeや通知が増えるにつれて携帯中毒っぽくなる懸念が増してきたため、最近はあまり更新していません。Likeはそんなに気にしてないと言いつつ、新着通知があると開いてしまうし、そうなるようにプログラムは設計されているので、まあ仕方ない。

 

昨年末から何をしていたかというと、11月下旬にTELC B2の試験を受けてからはずっとお仕事探しをしておりました(ちなみに、一昨日良い結果が来ました。80%得点だったので、CVに書けそうです!)。オンラインで職探し→履歴書(CV)、志望動機を書く→データファイル送信 というのをひたすら繰り返していました。繰り返したといっても、応募した仕事は現時点までで5つくらい。新卒時の就活と比較すれば、もっと余裕はあるし、一応ストレス低めに内容完璧に詰めすぎないというのを心がけてやっております。日本では新卒就活しか経験がないですが、やはり日本とドイツの就活は結構違うんじゃない、、かな?細かいことですが、私は「就活」というキーワードがあまり好きじゃないのと(笑)、「お仕事探し」と呼んだほうが個人的にしっくりくるので、ここではお仕事探しで通したいと思います。

 

CVはドイツで一般的なフォーマットを参考にしながら、英語で作成しました。ドイツ語で求人(Stelleangebot)を出している所にも英語で送っています、わざわざドイツ語版作らなくてもわかるだろうということで。内容は至ってシンプルですが、気をつけたのはGPAと大学での専攻をしっかり明記すること。あと、前職での業務内容も結構詳しく書きました。ドイツで仕事の専門性が重視されることはよく聞くので、広報の仕事を一通り経験してきました!と訴えかけるCVになりました。振り返れば、広報代理店というニッチかつ人手不足な業界だったからこそ数年でいろんなことが出来たのかもしれません。浅く広く大学の専攻と前職の仕事はほぼ無関係なので、そこはつっこまれるかもしれないと予想してます。

 

志望動機は今の所すべてドイツ語で書いています。英独どっちで書いてもOK!という募集もありますが、やっぱりドイツ語でちゃんと文章かけますアピールをしておくのが良いかなと思って。あと、A4半分程度の長さなのでそんなに負担でもありませんでした(ちなみに、文法スペルミスが不安なので送る前にうちの子にチェックしてもらいます)。

 

肝心の問題、それでお前はどんな仕事するんだという点なんですけども、結構多様なお仕事に応募しています。私は興味の幅が広いので、次はこんな仕事がいい!と簡単に絞れません。いろいろ面白そう。全然それでOKじゃないかと。以下応募した仕事一覧です。

  • 人道系NGOのオフィスのHRアシスタント(週30時間/2年契約/月給制)
  • 環境問題、人権問題等に関わる仕事を掲載するジョブプラットフォームを運営する会社のインターン(フルタイム/約半年/月500ユーロ程度?)
  • 建築デザイン会社のPRインターン(1年弱契約/月500ユーロ程度?)
  • ミュージアムの展覧会インターン(3ヶ月契約/月500ユーロ)

これを見ればわかる通り、私が興味がある分野っていろいろあって、人権問題、環境問題、建築デザイン、アート(そしてそれが表現する社会問題とか歴史)全部趣味といったら変だけど、関連するものについては日常的に情報キャッチなり本読むなり、展示会に行くなりしています、自分の興味を満たすために。

PR関連の仕事は1つしか応募していません、というのも実際してみたら、自分の性格にあまり合っていない実感があったからです。メディア向けの文書を書くとか、プロダクトについて細かくインプットしてわかりやすく伝えるとか、そういうのは好きでした。でも、人脈づくりはじめ、メディアとの関係を上手く築かないとなかなかキャリアに結びつかない。愛想笑いが出来なくてすぐ感情が顔にでる私には厳しいタスクです(笑)広報にも色々忙しさに差があるようですが、私は比較的大きな会社を担当していたのでメディアとの関係づくりがかなり要求されるポジションだったのです。

そんなこともあり、次は自分がもともと興味がある(興味が持てる ではなく!)ことに仕事で関われたら楽しく仕事できるかな、と思いました。といっても、今回わからないことが多いため(ドイツでの仕事の仕方、求められる語学力とは一体どの程度なのか等など)、まずは面接で仕事内容、働く環境、いっしょに働く人々をまずよく知ることから。ちなみに、国や市に関連する団体(ここではNGOミュージアム)は優先的に移民背景のある人、女性、そして病気や障害のある人を採用しているらしいのです。私、謎に有利なのかもしれません。肩肘はらず、コツコツと活動を続けます!

 

追記

お仕事探し以外だと、最近ハマっているのは出汁を取ることです。和風だしは乾燥シイタケと真昆布を水にいれて冷蔵庫に一晩置くだけ。そして野菜だしはクズ野菜(人参の皮とか)を冷凍してためておいて、溜まったらお湯でグツグツ煮たら完成です!やさいのくずで出汁が取れるなんて素晴らしいな!!と感動しながらグツグツしております。

 

 

契約書不在のフリーランス契約なんてダメ絶対!

暦は師走。そして、こちらベルリンは街中クリスマス一色。クリスマスマーケットでホットワインを飲んで家族とゆったりするのが素敵、そんな季節です。

 

私はというと、11月末から日本語トランスクライバー(オーデイオの書き起こしをする仕事)としてをある会社で短期で働いていましたが、どうもこの会社、コンプライアンス的に問題有りの様子でした。私は一介の労働者としての権利を死守すべくメールで戦っていたのですが、万策尽き、そろそろ戦いに幕を下ろそうかなと思います。前職はややブラックだったので一応その頃から会社に対して権利を主張したりしていたのですが、異国の地での戦は初めて。つくづく会社運(?)が無いなあと思いつつ、そろそろ気持ち切り替えていきます。でも切り替える前に、一通りの出来事をシェアするのも悪くないかなと思い書き始めたら、結構な長文になってしまいました!

では問題点を並べてみましょう。

まず、契約書が発行されませんでした。契約書についてはプロジェクト開始前から再三主張していたのですが、当初の対応は「君たちとはフリーランス契約なので契約書は必要ない」の一点張り。一旦マネージャーに「OK!今日作るね!」というユルい返事を口頭で貰った後、一切進捗なし。業務内容、給与、給与振り込み日等の情報はFBのメッセージ上とメールに有るのみ。これでは、途中で内容の一部が一方的に変更されても(実際変更されました)被雇用者側は全く文句が言えません。

確かに、契約書の無いフリーランス契約も有るには有るらしいです。ただ、今回被雇用者であるトランスクライバー約10人が各々に異なるビザを持っていることから契約書の不在は問題を招きそうなこと、(労働が禁止されているビザも勿論あります、でも会社側からのビザチェック一切無し)、そして私のような無職者でも月一定以上の金額を稼ぐ場合は納税義務が発生するわけで、そういう点からも契約書が絶対欲しかったのです。何より、A4一枚でちゃちゃっと1時間で作れそうなものを、そんなに渋るのが一層怪しかったのです。

一方、会社側からはNDA(秘密保持契約)へのサインを早くするようにと何度も釘を刺されていました。NDAへのサインは全く問題ありません。この書類にサインしたことで、被雇用者側は業務の詳細を口外することを禁じられた訳ですが、被雇用者の権利は契約書が無いので今の所全く保証されなかったということです。全体的に会社側のいいように全てが動いている感がしました。

先の契約内容が変更されたという話ですが、プロジェクト開始から一週間後、給与が変更されました。当初はオフィスに来て作業すれば、1時間の労働当たり10ユーロという合意でしたが、変更後は処理したオーディオの長さ単位で、つまり成果に応じての支払いに変更されました。

口頭で説明された理由は2つ。まず、会社側の予算不足。そして、我々日本語担当のトランスクライバーの仕事が遅いので(何を根拠に、、)、成果物単位にしたいとのこと。予算が足りないならクライアントに交渉するか、予算追加が無理ならプロジェクトの規模を縮小するかの話であって、トランスクライバーの給与を減らすというアメージングなアイデアにはちょっと閉口しました。ちなみに、変更後の給与はドイツの最低賃金以下になる計算になります(成果単位なのでここがクリアに見えにくいのですが)。この点についても会社側に異議申し立てましたが、暖簾に腕押し。そもそも変更前の給与についても曖昧で、分単位で計算されるのかが明らかではありませんでした。結果的に1時間以下は切り落とされることになっています。つまり、1時間55分働いた場合、55分は無賃金ということです。

契約書の不在以外にも、いろいろと不備が目につく会社でした。まず、プロジェクトマネージャーがプロジェクトの内容についての理解が驚くほど浅かったこと。クライアント側からトランスリプション業務についての注意事項及びルールがPDFで会社側に共有されていたにも関わらず、それをマネージャーはほぼ読んでいませんでした(そのPDFをよく読んでおいて!と私にメールしたにも関わらず本人ほぼ未読)。終いには私が内容について彼女に説明する始末、、、。会社側のプロジェクトメンバー数人は、お互いに情報共有が出来ていないのか、質問しても返ってくる答えが一致しない。

数日は交渉しつつも作業をしていましたが、給与変更の話が出てから会社への不信感が拭えなくなり、ひとまず私は作業をストップすることにしました。結局は契約書が無いので、給与が万が一支給されなくても、文句は言えません。今後どんな不当な変更を提示されるかわからないので、「契約書が発行されない限り私はこれ以上働きません」とマネージャへ一本メールを書きました。

すると彼女から返ってきたのは以下。「昨日オフィスで他の参加者に給与変更について説明して、彼らから理解を得ている。あなたも昨日来ると思った。いつあなたがオフィスに来られるか連絡して。」初めから問題だったのは、マネージャーが給与について口頭で変更の提案、決定を行っていたことです。メールか書面で情報やプロセスが残っていれば後から内容が証明できますが、会話は録音しない限り不可能です。そもそも、給与変更について話す場があったならば、「あなたも来ると思った」はとても無責任では、、?そもそも(根本的におかしいところがありすぎて、そもそもを使いすぎてしまう。)、他の人が変更に合意したというのは、私には無関係では?

何度こんな押し問答を経ても、返ってくるのは「オフィスに直接来て」の答えのみ。もちろん、交通費支給なし。何を言っても無理そうだ。私は途中でプロジェクトを降りることにしました。

すると、また新たな問題が発生。私が担当していたオーディオファイルを全て終わらせない限り、給料は支払えないと。「トランスクライバーには、1セット(80~100個の音声ファイルが入っている)単位で仕事を任せているので、セットを全て完了しないと賃金は支払えない。1セット全て処理されていないと、使い物にならない」そんなことはどこにも書いていなければ聞いたこともないので、即反論しました。ここでも契約書が無いことで、お互いに証拠を示せません。

さらに言えば、マネージャーはメール内の数字が間違っている(一度指摘してもまた間違っている)ことが多かったので、かなりのうっかりさんだったのかもしれません。「15時間も作業していたのに、14分間のオーデイオしか処理できていないのはおかしい(つまり、時間に対して成果が少なすぎる)」とも言われました。私は普通に作業をしただけのことで、その上私はずっと彼女と同じオフィスで働いていたので水増しできるわけも訳もなく。こんなことを言い出したらきりがないというか、どんな仕事に対しても理不尽なことが言えてしまいますよね。

 

私に対してだけでなく、他の日本語トランスクライバー達にも何度も「トランスリプションが遅い」「時間がかかりすぎる」という指摘が向けられたわけですが、私達は普通に作業しているだけなので、主観的にそう断定されてしまうのが理不尽だなあと思いました。ヨーロッパ系言語と比べ、日本語は変換する手間もあれば、音声中の相槌が多かったり、発音が曖昧だったりと、何かと手間と時間が掛かることは想像できます。会社側には日本語が解る人が一人も居ないので、その点が非常に理解されずらかったのかもしれません。単に数分の会話であっても、それを正確に文字に起こすのは、日本語ではなかなか骨の折れる作業です。そもそも、私達の起こした日本語テキストが直接エンドクライアントに行くらしいのです。つまり、内容をチェックする人間が一人も存在しないので、仮に大きな日本語のミスがあっても誰も気づかない可能性大です。マネージャーだけでなく、プロジェクトのチーフらしき人物2人にもCCでメールを共有していたのですが、彼らからの応答は一切無し。マネージャーがこんな適当なメールを返してるのに何もフォローアップは無しか、、途中からは組織としてダメなんだなあと思いつつやり取りしていました。

一つ付け足しておくと、この会社は外資系の翻訳会社です。世界中に支社があるらしく、社員はほぼ外国人で、ドイツ語を話す人はほぼいませんでした。一般的なドイツの企業と比べるとかなり例外的なので、このコンプライアンス意識の低さがどこに起因しているのか今でも不明です、、、。私の周りのドイツ人にこのことを話すと一様に「あり得ない」「そんな変な会社があるんだ」と答えてくれるので、ちょっとホッとしております。契約書を交わさない労働契約はドイツ語でSchwalz Arbeit、黒い労働と呼ぶらしいです。よくニュースでは工事現場で働く作業員達と建設会社間で起こる問題として取り上げられるらしく、一般に労働者が弱い立場の場合、会社側が法人税等を不正に操作するために契約書を発行しないのだとか。

今回の件がSchwalz Arbeitに当たるのかはわかりません。でも、最後まで屈しなかった自分を褒めてあげたい。普段から日本の友達に「ブラックな働き方だめ絶対だよ!」とコンプライアンス遵守思想を布教しているので、いくら小さな仕事でも変なところは最後までちゃんと主張したかったのです。

 

 

 

人生は短編小説

最近の語学学校の授業のテーマは「仕事」。今受けてるC1コースは一応レベル的には企業にドイツ語でアプライしたり履歴書を書く人も多くいるであろうレベルなので、まあ非常に有意義なテーマではあるけれと、いろいろあって私としてはあんまり進んで話したくないテーマでもある。日本の労働環境はどう?働き方は?とか聞かれたら(実際これまでも何度も聞かれてる)私はネガティブキャンペーンしかできないから!

 

ただ、先生のリーディングマテリアルの選択が非常に良い。ただの長文読解の宿題なのに食い入るように読んだ。ここまでとんがった記事ってなかなかない。少なくとも日本語では。

 

ちょっと話はそれるけど、新たな言語を獲得するということは、アクセスできる情報の量が増えて、それより重要なことは自分にとって新しいモノの見方をする、その世界にエントリーすることができることだと思う。私の情報の海がバーーンっと広がったというか。それはおいといて。

 

 

その記事というのがこちら。ドイツ語読める人は原文でも。グーグル翻訳という神器で全文一気に日本語翻訳もできるし、全然それでも理解できる。

www.stern.de

 

全体をまとめるとこんな感じ。意訳といえば意訳だけどなかなかよく訳せた気がする。エッセンスはほんとこれ。

 

人生はFollow your passion!って言葉、よく言われるけど本当にそれって正しいのか。特に仕事を探す上で。、自分が本当に情熱が持てる仕事、それでいて心の底から楽しい、つまり「夢の仕事」を見つけることが正義であるという風潮があるけど、それは間違っていないか。

約半数の若者は自分のしたい仕事が全くわからないらしい。思春期あたりから親に「そろそろ将来について真剣に考えなさいねー」とか言われるよね、でもそんなこと言われたって、雲の上の城を建設するみたいに、曖昧な仕事像しか描けない。(その位の年頃で知っている仕事の種類なんてたかが知れている)

自分に合った仕事というのは、自分の庭を育てるように、段階的にゆっくりと様々な経験を重ねながら見つけていくものだ。自分でも予想しなかった仕事で成功したり、全く新しい自分を発見する可能性だってある。

自分の「夢の仕事」を見つけるため、1年間に30回のインターンシップに参加したある女性は、「夢の仕事」なんて存在しないことがわかった、と語る。彼女が学んだことは、ひとは様々な仕事を選択する可能性があるということ、そしてどの仕事が自分を満たすかは時間の経過によって変わりうるということ。

人は自分の人生を一貫したストーリーに仕立て上げたいという願望を持っている、とある研究者は解説する。すべての出来事は繋がる、繋げたい、繋がっているはずだと信じたがる。でも実際には現在自分のしている仕事は3年前と全く違っていたり、もしかしたら過去の経験や知識も全く役に立っていないかもしれない。でも、それでいいんだ。人生を綺麗なストーリーに仕上げる必要はない。一貫性はないかもしれないが、面白い、より良い人生を目指す方がよっぽどいい。

だから、人生は短編小説のコレクションなんだ。明日の自分は、もしかしたら今日の自分とは違うかもしれない。考え方だって変わるかもしれない。したいことだって、変わるかもしれない。でも、大丈夫。人生は長く厳しいロングストーリーではなくて、短編小説のコレクションなんだから、全体で一つのハーモニーを奏でる必要さえないんだから。

 

 

わたしだって確かに自分のこれまでの人生を長編小説に仕上げようとしてきた節がある。だってそう。全部の点と点を繋げたいし、今していること、過去にしたこと、辛かったことも含めてなにか将来の糧になるか、繋がってるかしてないと自分を納得させられないから。

 

でも、綺麗なストーリーラインを描いてみても、著者によればなかなかうまく行かないらしい。むしろ、いまいる私は「何でもできる私/何でも選択できる私/何でも捨てて良い私」であるはずなのに、無理に過去の点とつながる点を探したりしてるのかもしれない。現実的な例で言えば仕事は確かに過去に得たスキルセットが活かせれば、それは素晴らしいんだけど、実際に達成できるかは別として、全く別の仕事でもいいんじゃないか。例えば、大学院まで行って教育の修士を取ったあと学校の先生を数年努めてから、なんと大工の職業訓練(Ausbildung)を始めた知り合いの女性がいたりする。ドイツと日本は制度が異なるから、ジョブチェンジについて簡単には比較できないけど、こういうチェンジも有りなのかと思った。

 

自分の選択の自由を狭めているのは、自分自身なのかもしれない。

 

とか言ってる私自身がこの考え方をちゃんと体現出来ているのかといえば、全くそうじゃない(だからこんな記事を書いてる)。

 

さつきだって、10月末に語学学校の全課程が終わってしまうのが怖くて、うちの子(パートナー)に文字通り泣きついていた。語学学校が終わったら私は学生でなくなってしまって、じゃあ私は何になるんだろう。興味のあることはたくさんあるけど、やっぱりとりあえず前職と関係した職が良いかな、日本語活かせるとか。でもこれが、自分の可能性を自分で狭めてるってことだ。

 

私は現状真っ白なら真っ白なりに正直に興味のあることやってみればいいんだと思う。いまいる私と全然関係なくても、それが新しい自分なのかもしれないし、やってみなきゃ何もわからないし。私の庭にはたくさんスペースがあるし、植えたい植物もたくさんあるし、いろんな育て方試してみたいし。まずはちょっと耕すだけでもいいんだから!

Göteborg/イェーテボリ覚書

スウェーデン第二の都市イェーテボリスウェーデン語で書くとGöteborg。ドイツ語読みするとなんとゴーテブァク(カタカナ表記は若干無理矢理感があるけど)。義理の家族とドイツ語で話してたときに「ゴーテブァクに行くの楽しみだね!」って言われて全然わからなかった。ちなみにEdinburgh エディンバラはエーディンブァク、アテネはアティーン。たまにわたしが地名を全然理解しないけど、それは日本語だとまた違う読み方なんです(GöteborgとかEdinburghについては日本語読みのほうが本来の発音に近いという矛盾)、その街知らないとかじゃないんです、、とたまにわたしは主張している。

 

その話は置いといて、二日間イェーテボリに行ってきた。その前の7日間はイェーテボリから車で2時間の森の中(ほんとになんもない)で義理の家族が借りてたFerienhaus(休暇用の貸家。日本で言う別荘みたいな。でもそんな贅沢なことじゃなくって一週間一軒家借りて450ユーロ。何人泊まっても450ユーロ。安。)に泊まってた。周りに湖と牧場と森しかないのでひたすらゴロゴロ。


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これがドイツの休暇の過ごし方(少なくとも義理の家族は)らしいことをここ数年で学んだ。アラビア語の宿題が大変捗った。

 

そんなわけで、二日間しかいなかったイェーテボリだけど初めて訪れた街ということもあっていろいろ発見?があった。イェーテボリに住んでいる方、住んでいた方、イェーテボリ愛好家の方には大変失礼な内容かもしれない。ふらっと訪れた一旅行者の感想として聞いてください。

 

1. 人が少ない。  

イェーテボリの人口、57万。ベルリンの人口357万と比べるとまぁ確かに少ないけど、いやほんとに人が少なかった。スウェーデン第二の都市なのに。私とうちの子はケチで、あと町並みをよく見たいと思っていたこともあって、ほぼ徒歩で街の中を移動してたけど、ガラーンと誰も居ない通りもあったりして、このスウェーデンが一番賑わう夏(しかも7月下旬快晴)にこんなにも人がいないものなのかと思った。イェーテボリ大学は結構大きめの大学らしいけど、もしかしたら学生はみんな街の外へ?住人も皆バカンスへ?

 

2. 観光客はほぼドイツ人

ドイツのなかで南スウェーデンは避暑地/観光地として大人気らしく、そこかしこでドイツ語を耳にした。でもドイツ人に人気の理由、ちょっとわかる。郊外(というか森林地帯)はドイツに似てるけど建物は木製で深い赤色で塗られてて、なんだか哀愁も漂う。メルヘンチック。


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自然も北ドイツのそれとは違って、なんか洗練されているというか、よりおとぎ話感があるというか。ドイツに似てるけど、もうちょっと素敵。そんなイメージ。

 

ただ食べ物とかお店の感じとか、スーパーの様子とか、観察は雑ではあったけど見たところドイツと生活スタイルとしてはかなりの部分を共有してて、外国ながら普通に過ごしやすいっていうのもポイント高いのかもしれない。英語も通じるし。

 

3.  想像より、小さい

二日間で大体街のほとんどを巡れてしまった気がする。コンパクト。

 

4.  観光客の為?に残された町並みと生活感の無さ

HAGAという地区があって、ここは「HAGAにようこそ!」みたいは横断幕掲げられちゃったりして、盛大に観光客を呼び込んでる。17世紀からの建物もあるということで、歴史的な地区というのは理解できるんだけど、店があまりにもツーリスト向けすぎてげんなりした。マリメッコとかムーミンとか、そういうの取り揃えれば観光客は来るかもしれないけど、どっちもフィンランドのモノでしょ。イェーテボリならではのモノってなんなんだろう、全然ここだと見えなかった。HAGAの地区一体の建物は住居でもあると思われるのに、全く人が生活している気配はしない。この地区、多分現地の人は来ないんだと思う。

 

5.  街の個性と方向性の行方不明感

イェーテボリは港町で、港から見える景色や大型船が入港する様はなかなか良かった。


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魚もよく穫れるみたいで、魚市場にもちょっと行ってみた(これまた想像よりかなりこじんまりしてた。私の想像がおかしいのか。)レストランも併設されてたけども総じて18ユーロ前後でわたしには高すぎる。(イェーテボリのレストランはどこも高くて、結局夜は2日とも自炊した)


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全体的に活気があるかといわれたら、ちょっと無いよなぁっていう印象を受けたけども、イケてる場所もあった。例えば結構本格的な有機食品のお店。パッケージフリーで穀物とかも売ってる。

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あとは、環境に優しいストリートウェアのお店。スウェーデン発のブランドらしい。うちの子はここで100%廃棄ペットボトルから作られれたサングラスを購入。環境に優しい(ひいては生産者にも優しい)とデザインの良さを両立できてるブランドってなかなかベルリンでは見ないから(そういうお店は総じてデザインに流行という概念が無いというか、残念というか、そんな印象。対して、靴のブランドはおしゃれなのがたまにある)大変好印象。

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イケてるカフェも偶然見つけた。おしゃれなヤングしかいない。英語が飛び交う。でもこの地区、このカフェ以外特に何もない。

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ここまで読むとイェーテボリは「素敵な港町、今どきの若者に人気!」って感じだけど(もしうまく取り繕ったレポートでも書くならそう書くけど)、残念ながらそうではないような。上記のイケてるスポットはすんごく散らばって点在してるし、その周りは特にこれといった店はない。ベルリンと比較すると(人口が結構違うから酷かもしれないが)、ベルリンはそれそれの地区の個性が凄くはっきりしてる。うちの近くのSchönebergはリベラルな地区で至るところにレインボーフラッグ、ゲイ向けのお店がたくさんある。Mitte は一番センス高めで、理解不能なおしゃれさんが大集合してる。その他挙げればきりがないけど、アラブ系移民が多い場所もいくつかあって、駅を降りたらすぐにわかる。全然雰囲気が違うから。

 

イェーテボリはどんな街なのか、どんな人がいるのか。そういうのがあんまり見えてこないのは二日間という期間が短すぎたからなのか。ただ、観光客を意識してるのは伝わってきて、新しいミュージアムで恐竜展をしたりしてた。恐竜展かあ、、。ストックホルムじゃなくて、イェーテボリでないとできないコトとか、見られないモノとか、観光客を意識するならそういうのがやっぱり必要なんじゃないか。どこでも買えそうなアクセサリーとか、マリメッコとか、恐竜とかじゃなくて。

 

そんなことを思いながら帰りの飛行機に乗って、ドイツに「帰国」した。ベルリンの家。わたしたちのお家。スウェーデンは近すぎて、空港でのチェックもゆるゆるで、全然外国に行った感じがしなかった。日本から行くのとは大違い。ベルリンはまだ全然慣れないことも多いけど、着いたら見慣れた風景や人々の雰囲気にちょっとホッとしたというか(その雰囲気とはなかなか無秩序な雰囲気である)、この街の空気は自由で、それはやっぱり好きだなと思った。

 

生産性で人間の価値が図られる社会とその社会に貢献したい私達

政権放送を最後まで真剣に聞いたのは初めてだった。というか、今までしっかり見たこともなかったし(NHKをつけて偶然放送されていても、大体は開始10秒くらいで見続ける意欲が削がれる)、それは選挙権を得る前も、得てからも、全く自分の参考になるものではなかった。スタジオセットも古臭いし、言ってることも胡散臭いような。


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打って変わって、この前の山本太郎の政権放送、すんごく良かった。感動しちゃったかもしれない。彼の日本社会の捉え方は完全に私と一致していて、彼は最近特によく言われている「生きづらさ」を初めてちゃんと言語化できているように聞こえた。

以下、冒頭から抜粋する。

 

あなたは自分が生きていても許される存在だと、胸を張って言えますか。あなたは自分がただ生きているだけで価値がある存在だと、心から思えますか。あなたは困っている時に、助けてほしいと声を上げられますか。

山本太郎からのこの問いに全て言える、思える、できると答えられた人はどれくらいいますか。そう多くはないと考えます。なぜなら、あなたに何ができるんですか、あなたは世間の役に立ってるんですかっていうような空気、社会に蔓延しているからです。

だから、そんな社会を、政治を変えたいんです。生きててよかった。そう思える国にしたい。それは無理だと思いますか。私は思いません。

 

前も書いたことだけど、私は会社を辞めてから「なんも生産してないじゃん」「生み出してないじゃん」「存在してるだけじゃん」というような気持ちにふと駆られることがある。じゃあ、バイトでもなんでも、働き始めたら(仕事を通して、「社会」の役に立ったなら)この気持ちは解消されるのか。でもそれって根本的解決ではないような。

 

わたしに問題があるというか、私が悪いのか?過労やうつが蔓延するような、こんな社会自体に責任があるのに、わたしはそれでもその「社会」に貢献するために、また働くことを通じてしか、わたしはわたしに満足できないのか。そもそも、働いてないひと、生産しないひとには、価値がないのか?いや、絶対違う。

 

あなたに何ができるんですか、あなたは世間の役に立ってるんですかっていうような空気か社会に蔓延している。これだ、と思った。そうだ、物心ついたときから確実にその類の空気はあったように思う。

 

生産性で人間の価値が図られる社会、それが現在です。これが加速すれば、命を選別する社会がやってくる。医療費を口実に、生産性を言い訳に、人間の生きる価値を、期間を、一方的に判断される時代がもうすぐそこまで迫っている。

これは、結果的に晴れて当選を果たした同党のALSの舩後靖彦さんと、全身にまひを持つ木村英子さんを念頭に、障害者施策が障害者を抜きにして決まる政治の現状について説明する箇所。

 

生産性で人間の価値を測るという価値観、これは障害者だけじゃなくて、すべてのひとに適応されているんじゃないだろうか。人間は機械じゃない。一人ひとり違う個性があって、考え方があって、生きているだけで価値がある。そのはずだよね?そうだったはずだよね。

 

過去に何を生産したか、いま何を生産しているか、そして未来でなにを生産したいのか?こんなことばかり、少なくとも就活からずっとわたしはこう問われ続けてきた。もしかしたら、学生時代も、将来の生産のために勉強をしてきたのかもしれない、させられてきたというか。

 

価値やモノを生産するというのは、言い換えれば、社会に「活用される」とも言えると思う。「女性の活用」とか、言われてるようにね(何回聞いても変な言葉)。

 

故にわたしは活用されてない女性ともいえる。そして、自分のなかでも強く「活用されたい」と願ってしまっている。何でだろう。

 

ふんわりした社会の雰囲気とか、価値観というのは、言語化されて初めて目に見えるようになったりすると思う。女性が何故か常にサポート役に回ることが期待されている、そんな当たり前すぎた雰囲気に「女性蔑視」という言葉が与えられて初めて、当事者のひとりであるわたしも「あれは女性蔑視というんだ、わたしは何も悪くなかったんだ。そうする必要さえなかったのに、社会にそうさせられていたんだ。」って思うことができる。

 

答えが出たからこの文章を書いてるんじゃなくて、わたしも答えがわからないから、文章に書くしかない。わたしは何故こんなにも何かを生産したいのか、わたしを活用されたいのか。もし、それが社会の要請に答える為だとしたら、社会に評価されたいという欲から生じるんだったら、仮にこの社会が全く別の社会に変わったとして、わたしはそこで初めて自分の現状に満足できるんだろうか。

 

わたしのメンタルについての所感


わたしがうつと診断されてから1年半。今までは自分のことは自分が一番良くわかっていると思っていたけど、この1年半は自分のことがわたしは一番よくわからない。それくらい不安定で気まぐれなメンタルとわたしは二人三脚で歩んできた。




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この疾患は人によって症状の出方に差があるけど、私の場合は楽しいときはものすごく楽しい。好きなKPOPアイドルのライブ中継は全力で自宅応援するし、服も相変わらず好きだし、料理も工夫していろいろ作ってみたりする。ベルリンに来てからは自分史上最高と思われるコミュニケーション能力を発揮していて自分でも驚く。本屋や電車の中で近くにいた人に自分から話しかけて連絡先聞いちゃったりして(若干不審でもある)、ベルリンという新しい環境がそうさせているのか、それとも私が突然変異したのか。ドイツ語の宿題もバリバリするし、なんかアラビア語とか始めだすし、この謎のエネルギーがどこから来ているのか自分でもよくわからない。キノコを食べて無敵になったマリオの如く、私はまさに今自分でも意図せず無敵モードな気がする。

でも、無敵モードは永遠に続かない。多分ずっと無敵モードならそれはそれで大変に疲れる。定期的にメンタル最弱期は訪れて、それがいつやって来るのか自分は予想できない。例えば、パニックアタック(症状は2年位あったのに最近はじめてその名前を知った)。こう文字にしてみるとなかなか深刻な感じがするけど、私の場合は突然動悸と息切れが起こり、立っていられなくなるのが10分くらい続く。大体2週間~1ヶ月に1回くらいの頻度で起こる。うつと診断される半年前くらいからそれは稀に起きていて、発生するのは決まって電車の中だった。何故か会社に行かなくなってからのほうが頻度は多くなり、場所も電車ではなく、街でショッピングしているときに起こることが増えた。そして、一番頻発するのは何故かIKEA。私は家具が怖いのか。いや、多分そうじゃなくて、自分でも直接の理由はわからない。それが普通らしい。突然、理由もなくやってくる。(でも最近はそんなに症状強くないよ)

ここからはメンタル最強期、最弱期に関わらず、ここ2年のメンタルの全体的な変化としては、まず豆腐並みに打たれ弱くなった。超傷つきやすい、ガラスのハートならぬ、豆腐メンタル。相手の心証に非常に敏感で、少しでも自分に対するネガティブな感情を感じ取ると、激しく傷つく。言い換えれば、相手の感情が瞬時に読み取れる能力が身についてしまったのかもしれない。

例えば、レジの会計。冷たく接客されて、傷つく。そして、その感情を1日引きずる。別名サービスの砂漠と呼ばれるここドイツでがそれは非常に高い確率で起こりうるので、以前はできるだけ優しそうな店員のレジに並ぶようにしてたけど、最近はBIOスーパーとトルコ系スーパーの店員さんは総じて皆優しいという法則を見つけたので、レジで無駄に傷つくことは減った。対策大事。

あとは、「究極的に無理な人」というカテゴリーが自分の中に出現した。究極的に苦手な人。会ったり、思い出したり、ましてや連絡を取るのも絶対無理で、そのうちの一人が2週間だけ授業を担当していた語学学校の先生だった。クラスメイトは何とも思ってなかったかもしれないけど、彼女が私の名前だけ1度も呼ばなかったり(多分覚える気がない)、授業後に質問したらあからさまに嫌な顔をされたり(多分一刻も早く帰りたいんだと思う)、授業中はその熱意の無さが滲み出ているのに、そして私へ関心はゼロなのにも関わらず、私に満面の笑みを向けてくる彼女がわたしは徹底的に無理だった。彼女の言動は教師としていろいろと問題があったので、きっちり学校の運営チームに報告しておいた。泣き寝入りはしない。

ここ最近はブログを更新するくらいの活力はあるけど、わたしのカレンダーのメモによれば5月中旬から6月中旬は相当沈んでいたらしい。何にもできないというわけでもなく、KPOPも聞くし、授業にも行くし、美容院にも行く。明日の服とメイクを前の日に決めてみたりもする。普通に楽しい瞬間がある。でも、ひとりで街を歩いていて、突然辛くなる。何が辛いのか自分でもわからない。自分のメンタルが多面的すぎて全然把握できない。

仕事で無理しなければ、あの会社を選んでいなかったら、わたしはうつにならなかったかもしれない。
そう思っていた時期は結構長くて、今でもたまにそう思う。発症してからはもちろん辛いことが多くて、この疾患は怪我と違ってはっきりと目に見えないから自分でもよくわからないし、だからこそ家族にもしっかり説明はできていない。何回も言うけど、自分でもよくわからない。

でも、もしかしたら、うつになったことはネガティブな面ばっかりじゃないかもしれないと、私は最近考えるようになった。

まず自分の好きなもの、自分にとって大切なものが以前に比べ非常にクリアに、明確になった。何もしたくないほどしんどい時にも楽しめるものは、本当に自分が好きで大切なものなんだと思う。

まずは、言語。診断を受けてからも休むことなく一定のペースでドイツ語の授業に通ってたし、むしろ会社にいた頃はドイツ語が救いだった。勉強しているときは無駄なことを考えないで、無心でいられる。損得とかそんなの一切考えないでひたすら単語を覚えるのはあの時の私にとって幸せなことだった。

あとは、食べ物。うつになって食欲減退する人は多いらしいけど、わたしは今まで食欲が落ちたことは一回もない。食べるのも作るのも好き。会社にいた頃は朝自宅でお弁当を作る時間が救いだった。料理をしているときは心が落ち着く。自分が食べたいものを作って、お昼にひとりで楽しむ幸せ。

そして、服。服は昔から好きで、ここ数年は古着が好きになったけど、オフィスで古着のパーカーなんて着れるわけもなく、社内にフンワリ存在するドレスコードを読み取りつつ、浮かない服を着ていた。ヒールもあんまり好きじゃなかったけど、しょうがなかった。特に外に出る時は、クライアントや記者は最低1~2周りは年上なので、社会人数年目の奴だと舐められないように、大人っぽくみられるよう結構気を使っていた。休日の日は反動はすさまじく、上下ぶかぶかのちょっとジャンルがわからない人になっていた。また、あの頃は化粧は義務でしかなく、(彼曰く、あのころ私はメイクが下手だったらしい。そらそうだ、ただの義務だったんだから。)そんなに好きでもなかった。会社を辞めてからわたしの顔面は社会から解放され、目の上をオレンジにしてみたり、唇をブラウンにしてみたり、突然似合う色がわかったりして、初めてその楽しさを感じられるようになった。本日のわたしはというと、髪の毛は緑色で(紫から色落ちして何故か緑になった)、上は下北で買ったお気に入り古着のパーカー、下は表参道で買ったこれもお気に入りのリーバイスである。最近はこんな少年っぽい服にハマってる。毎日なんか違うなーと思いつつ自分の外見を周りに合わせるという行為は、やっぱりストレスだったよなと今になって思う。波はあるけど、今は素直に自分の感性に従うことができて楽しい。

好きなものといえば、人間関係もそうで、それはつまり友人。いい友人だとしても会ったときはやっぱり楽しい盛り上がる話題に終始しちゃったりして、それもそれで最高だけど、やっぱり普段悶々と考えていることとか怒ってることとか、そういうのを知ってもらうのも大切な気がしてきた。もっと素直に自分の気持ちや考えについて共有してもいいんじゃないか。しんどいとか楽しいとかそういう気持ちだったり、「最近忙しいんだよねーはは」みたいに自分に対しても友人に対してもごまかしつついたのも良くなかったのかなーと思ったりして、まあもっと素直に正直になろうと思う。

こんな感じで、わたしはうつになってから、心のガラスの曇りがとれたような気がする。以前は、周りと自分を比べて、「これをしたほうがいいんじゃないか、あれもしたほうがいいんじゃないか」と焦ることが多かった。これという明確な趣味や特技もなくて、でもあれこれ考えることは好きだったりして、でもそんなことエントリーシートに書いたってどうしようもない。自分じゃない他人に無理になろうとしたり、自分に合わないことはしなくていい、好きなことを素直にフォローすればいいじゃん。やっと最近そう思えるようになった。この心境に移行するまでが結構長くて、私は今でもやっぱりトンネルの中にいる気がする。でももしかしたら、トンネルに入るまでの世界よりずっと楽しくて心地いいものがこの先にあるかもしれなくて、それはやっぱり、この疾患を経験して初めて感じた感情だったり、悩んで、悩んで、考えて、考えて、辛かったけどだからこそ、得られるものなんじゃないか。悩んだり考えたりしても全然明確なアウトプットはできないし答えも出ない。でも価値のあるものこそ、はっきり表現できるはずないとわたしは思う。